第3巻 「そんな風にしか言えないけど」

-----------------------------------------------第3巻より抜粋


 一番後ろを行く、景時のすぐ後ろに並ぼうとすると、母屋の敷居の直前で、するりと割り込む黒い頭巾に邪魔をされる。
 望美の前に立ち塞がった長身が、くるりと鳶色の瞳に視線を滑り込ませる。
 すうっと息を吸い込み、早くなる鼓動を抑えて、望美がそれに視線を合わせると、弁慶は口の端を持ち上げ、ちらりと瞳を細めた。
「体調でも悪いのですか?」
 能面のように変わらない穏やかな笑顔ではない、細く鋭い笑みで、口調だけはいつものまま、弁慶が訊ねる。
「いえ、ちょっと寝不足なだけです」
 自然と硬い口調で望美が切り返すと、弁慶は、ああと短く答えた。
「それならば、薬を処方しましょう。ぐっすり眠れるようになりますよ」
「…」
「もしかして、私が何か盛るとでも思っているのですか」
 望美の沈黙の理由をそう解釈して、弁慶は細い笑みを更に尖らせて、くつくつと笑う。
「そんな馬鹿なことはしませんから安心して下さい」
「…そんな心配してません」
 むきになり、望美はやや口を尖らせて反論する。
 疑う筈がない。
 「今」の弁慶にどれだけ疑われていようと、彼も救いたいという望美の感情に変化はない。
「それは、本心ですか」
 望美が抱いている気持ちを察する術もなく、弁慶はますます瞳を細め、揶揄するような口調で続けた。
「…本心に決まっています」
 深く息を吸って、静かに望美が答える。
 望美の返答は、弁慶にとっては本当に意外だったらしい。ぷっ、と大きく吹き出して、微かに声を上げて笑った。
「貴女の感情を読むのは、本当に面白いですね。まったく、私には、決して想像がつきません」
 ひとしきり忍び笑いを漏らすと、弁慶は不意に笑みを引っ込め、ひどく真面目な顔になり、望美の耳元へ、さりげなく口を寄せた。
「…貴女が何を企むのもご自分の勝手ですが、精々頼朝殿には気取られぬようお願いしたいものです」
「…」
「もしも貴女がボロを出すようなら、私も笑っている訳にはいきませんから」
 くれぐれもお気を付けて、と、立ち去り際に残した弁慶の言葉は、再び、いつもの穏やかな法師のものに戻っていた。二人の会話の一部始終を聞かずに、そこだけを誰かが聞き咎めても、露とも疑問に思わないだろう。
 ぼんやりと、背を向けて立ち去る弁慶の後ろ姿を眺め、望美は重く嘆息する。伏し目がちに俯いた鳶色の瞳には、暗い予感が頭を覗かせていた。
(…想像がつかないのは、私もですよ、弁慶さん)
 これまで辿った運命で、こんなにも弁慶に敵視されたことは一度もない。誰にも見せない裏側に、計算高くて冷徹で、情け容赦のない彼があることも知っているけれど、基本的には、彼はいつも穏やかで、細かい気配りで望美に世話を焼いてくれる人だった。
 痛い、と思って右手を開くと、先程強く握った掌に、自分の爪の痕がくっきりと残っている。細い細い三日月の形をした赤い痕に、何故だか心が揺らいだ。
(…私は、貴方も幸せにしたいのに)



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季節はすっかり夏に移り変わり、望美達は身分を偽って熊野を訪れていた。
目的はただ一つ、熊野別当の協力を得ること。
互いにぴりぴりした距離感を持ち続けたままの望美と弁慶、弁慶と朔は、相変わらず相手への不信感を拭えずにいた。
そんな中、望美は熊野の地で将臣と再会する。
己の居場所、やるべきことを見極めて、この世界で戦っていく覚悟を決めている将臣に対し、何度も運命をやり直しているにも関わらず、目指す場所に辿り着けない自分に、歯痒さを感じる望美。
熊野川の氾濫のため、足止めを食らっている間、望美はたまたま弁慶と二人になってしまう。
弁慶に痛いところを突かれないよう、望美は激しく警戒するが…。




以下は、本編を読んでからお読み下さい。


























「読み終わったらお読みください」というか、大した話ではないのですが(笑)
ちょっとした言い訳と零れ話の場です。
こういうのお好きじゃない方もいらっしゃるかと思いますが、個人的には他の方のこういうの読むの好きなので。
良かったらお付き合い下さいませ。



長い長い熊野編の始まり。
熊野以後の後半戦も、勿論楽しく、目的を持って書いているのですが、当初の目標だったのが、3巻から始まる熊野の話です。
まっさんが異常に書き易く、望美との対比のためにいっぱい出してたら、弁慶の影が薄くなり始めたきっかけの巻(笑)
いや、だってほら、平氏の話も書かなくちゃですしね!(言い訳。笑)
ゲームでは、五章以降の後半になってくると、戦の話とか、誰かを落とす話だとかがメインルートになってくるので、四章は貴重な章ですよね〜。
何度もやらなくちゃいけないので、飽きるのですが(笑)


史実だと、三草山の戦いのすぐ後に一ノ谷の戦いなので(というか、一ノ谷の戦いのために福原に進軍する際に三草山の戦いがある)、熊野はまるっきり○ーエーさまの創作な訳ですが、なかなか上手い章を作ったもんですよね(偉そう。笑)
ヒノエのキャラ紹介、キャラ付けもあるし、まっさんと会う貴重な機会ですし、十六夜では裏熊野にも使われるし。
そういう四章の自由さが、3〜5巻のぶっ飛んだ展開の根底にある訳です(笑)


新オリキャラの家長は、知盛のために出したキャラですが、予想以上に動かし易くて吃驚でした。
まっさんと時忠と家長の珍道中は書いてて楽しかったな〜(笑)