ぱちぱちと焚き火がはぜる音と、澄んだ虫の音が心地良い。
 そんな、星も瞬く気持ちの良い夜に、ジーニアスの声はとても不釣合いだった。




「姉さん…。それ、何…?」
 微かに震えるジーニアスの声に、リフィルが怪訝そうに顔を上げた。





 リフィルは地面に座って分厚い専門書を開いている。おそらく『パラクラフ王廟遺跡の遺物に関する意義と、その考証』とかいう、とてつもなく訳のわからない内容だろう。いつも思うが、旅というものは何かと荷物が多いのに、どうしてこんなに分厚い本を持ち歩けるのだろうか。




「それって…、これ?」
 と、リフィルは件の分厚い本を持ち上げた。
「違うよ!そっち!」
 苛立ち混じりで叫んだジーニアスは、リフィルの背中の後ろにある塊を、びしいっと指差した。ああ、とリフィルは事も無げに後ろを振り返る。と言っても、ジーニアスが指差したそれは、彼女の背に寄り掛かっていたので、首を軽く回しただけだったが。
 小さく嘆息し、リフィルは苦笑をこぼした。
「これのことね」




 リフィルの背に寄り掛かっていたのは、言わずもがなのゼロスであった。
 彼はリフィルの背にぴったり身を寄せ、足を投げ出して爆睡している。
「なんで姉さんの背中で寝てるのさ…、こいつ」
「昨日ね、結局一晩中夜番してたらしいのよ。それで、眠いって」
 ゼロスに向けるリフィルの視線は優しい。碧い瞳が愛しそうに細められている。




 ここのところ、ジーニアスはそれがとても気に入らなくて仕方がなかった。
 子供っぽい嫉妬だということは、彼も十分に理解している。だが、シルヴァラントに流れ着いてからずっと、一緒にいて自分を守り続けてくれた姉が、ついこの間現れたばかりの、どこの馬の骨ともわからない奴に取られてしまったことが、ひどく悔しかった。
 しかも、ゼロスはいつもいつもリフィルにひっついている。呆れ、照れるリフィルにはお構いなしに。だが最近では、リフィルの方も、決してそれを嫌がっていない。




 その時、二人の話し声に気付いて、ゼロスが目を覚ました。とっとと離れろとばかりに睨みつけるジーニアスの視線にも気付かぬ様子で、寝ぼけ眼をこすっている。
 リフィルが何か言う前に、追っ払ってやろうと、ことさらとげとげしい声で言い放つ。
「ゼロス、寝るんなら地面で寝なよ…」
「んあ?」
 怒りのこもったジーニアスの言葉を、伸びでさらりとかわす。ゼロスのそういう、柳に風の態度が、余計にジーニアスの癇に障るのだ。
 しかも、この時完全に寝ぼけていたゼロスは、ジーニアスの前では流石にやってはいけないことを、見事にやってしまったのである。




「リフィルさま〜…」
 と言うなり、彼女の首っ玉に後ろから抱きついたのである。
「きゃあ!」
 驚いたリフィルが目を瞬かせる。その一部始終を焚き火の反対側で見ていたしいなとコレットが、あきれて溜め息を吐いた。
 ゼロスは抱きついたリフィルの首筋にうちゅーっとキスをしている。
 どんな妄想、もとい夢を見ていたのか。はたまた、子供の頃、お気に入りのくまのぬいぐるみにキスする癖でもあったのか。
 どっちにしろ、そんな気持ちの悪い想像をするくらいなら、トウフの角に頭をぶつけて死んだ方が百万倍マシだとジーニアスは思ったが、生憎とゼロスは嫌味かと思うくらいしつこくリフィルにへばりついている。
 とりあえず、今現在持っているもので一番痛そうだと思われる凶器で、ゼロスの頭をぶんなぐってみる。
「ゴッ」
 非常に痛そうな音が、夜の森に響き渡った。これみよがしにトゲトゲがついたケンダマである。痛くないわけがない。現にゼロスは地面に突っ伏して殴られたところを押さえたまま、ぴくぴくひきつっている。
 だがジーニアスにしてみれば、所詮ゼロスは自業自得なので、これっぽっちも同情の念は沸き起こらなかった。むしろ、どうせなら永眠してもよかったのに、と心の中で舌打ちした。恐ろしいことに、この十二歳児、本気である。
 ゼロスは今の一撃ですっかり目が覚めたらしい。飛び起きて、ジーニアスに詰め寄る。
「ジーニアス…! お前、俺さまを殺す気か!?」
「ああ、大丈夫。あんたなら、絶対に死なないから」
 ゴキブリ並みの生命力のあんたなら。何者でも射殺せそうなほど、ぎらぎら輝くジーニアスの目がそう言えば、大人気なく額に青筋を張り付けまくっているゼロスの表情が、一層きつくなった。





「どっちだと思う?」
「うーん…。ジーニアスかなあ」
「何だ、あんたもか。これじゃ賭けにならないね」
 完全にギャラリーを決め込んでいるしいなとコレットが、呑気にそう言い合った。





「だいたいさー。子供と同じレベルで喧嘩する方が大人気ないんだって気付きなよ」
 自分で自分を子供だと言う天才児もそうはいまい。
「ああそうかい。だったら大人を少しは敬って欲しいモンだな」
「あんたが敬えるような大人だったらね。でも、どう見たって敬うどころか社会の害悪だろ?」
 害悪に思いっきり嫌味を込めて、ジーニアスはゼロスをにらみつけた。普段、冗談半分で駄目人間だとか色魔だとか言われているゼロスであるが、真っ向からある意味恋敵の十二歳児にそんなことを言われては黙ってはいられない。
「おいおい、ジーニアス。俺さまはそのうちお前の兄貴になるんだぜぃ?そんな言い方はないんじゃないの〜?」
 神経を逆なでするゼロスの言葉に、ジーニアスが切れた。
「誰がお前を兄だなんて認めるか!!この万年発情期の馬の骨がッ!」
 全国のお父さんがちゃぶ台でもひっくり返しながら叫んでいそうな台詞である。
 だが、ジーニアスの雑言にも、ゼロスはひるまなかった。というより聞こえなかった振りをした。
「馬の骨はないでしょーよ。この美形をつかまえて」
 美形という言葉を力いっぱい強調し、無駄にポーズを決めてみるが、もちろんジーニアスはそれを目で一蹴した。
「フン。人の言葉も理解できない奴は馬の骨で十分だね!」
「俺さまのどこが人の言葉を理解出来ていないというんだね、ジーニアス君?
 だいたいお前、そんなにムキになるなんて、少しシスコン過ぎやしないか?」
「相手があんただからだッ!」
「そんな無茶苦茶な。じゃ、どうすりゃいい訳よ?」
「あきらめればいいんだよ」
「そりゃ無理だぜ。
 …それじゃ、『弟さま!お姉さんをボクに下さい』…っていうのは?」
「アホか!!」
 今にもメテオスウォームをかましそうな勢いでジーニアスが叫んだ。
 二人はぎりぎりと睨みあったまま、口々に思いつく限りの悪口を吐き出し続けている。





「今日のは、また激しいねぇ」
「二人とも、よっっぽど先生が好きなんだねー」
 と、妙に感心するコレット。コレットとしいなが、リフィルの方を見て悪戯っぽく笑う。
「どうする? 止めた方がいいんじゃない? あの二人」
「そうですよ、流血沙汰になっちゃいますよ?」
 明らかにコレットとしいなは面白がっている。それは嫌というほどわかったが、本当に流血の事態になられても困る。リフィルはしぶしぶ重い腰を上げた。





 息を切らし、睨みあったままのジーニアスとゼロス。まさにハードボイルドの極致、まさに荒野の決闘、いわば男と男の戦いだったが、口喧嘩では格好良くもなんともない。
 天才十二歳児と、幼い頃から様々な陰口を叩かれ続けた神子、お互いにけなす言葉はいくらでも出てくるのであった。
「勝負がつかねぇな…」
「もうあきらめなよっ!」
「イヤだッ!」
 口論する二人の背後に、ゆらりと影が揺れる。次の瞬間、ゼロスの体が遥か後方に吹っ飛んだ。そして、目を白黒させるジーニアスの頭にも、鉄拳が振り下ろされる。
「いい加減にしなさいっ!」
 穏やかに止めるとか、制止の言葉は一切なし。ただ、力あるのみ。
 仁王立ちで二人を見下ろす彼女の背後で、勝利のゴングが鳴り響いたような気がした。





 その様子を少し離れた焚き火の傍で見ているのは、相変わらず井戸端のおばちゃんのようなこの二人。
「結局、リフィルの勝ちか」
「うーん、先生のことは予想してなかったね」
 リフィルをせっついたのは自分たちなのだが、あまり気にしていないらしい。
「でも、先生を抜けば、やっぱりジーニアスの方が優勢だったかな?」
 と、コレットが言えば、しいなが必死に笑いを堪えながら答えた。
「そりゃあ、いくらゼロスでもハニーの弟相手に本気は出せないんじゃないの」





 颯爽と立ち去る勝利者の足元に転がる敗者二人。
 結局のところ、一番強いのはリフィルなのだった。
「痛ってー、愛のムチだぜ、リフィルさま〜…」
 ゼロスはむっくり起き上がって、同じく地面で悶絶しているジーニアスに苦笑しつつ、ぼやいた。
「やっぱ、ハニーには敵わないな」
 瞳を細めて、ゼロスが微笑んだ。その視線の先には、コレットとしいなと談笑しているリフィルの姿がある。





 ゼロスが優しい表情でリフィルを見ている時は、いつもなんとなく苛々する。
 それは、嫉妬と寂しさと悔しさの混じった感情で。
 同時にジーニアスはそんなことを感じてしまう自分にも苛立ちを覚えた。
 そう、ようするに悔しいのだ。
 このいけすかない男に、姉が取られてしまうことが。
 このいけすかない男が、実はそんなにふざけた奴ではないことが。





「なあ、ジーニアス?」
 リフィル達の方へ向けていた視線をジーニアスに向け、ゼロスが同意を求める。
「…まあね」
 悔しいが、今回の勝負はおあずけにしてやろう、そう思ってジーニアスは小さく答えた。
 今日引いてやるのは、あいつを認めた訳からじゃない。
 それは、きっと自分に向けられたゼロスの視線が、リフィルに向けられていたものと同じだったから。穏やかで、優しくて、愛しさを隠しきれていないものだったからだ。
 そう自分に言い聞かせる。



 しかも、リフィルが出て来た時点で、自分もゼロスもどうせ彼女には敵わない。
 そういう点で言えば、自分とゼロスは似ているのだ。
 彼女に傍にいて欲しいと、愛して欲しいと思っている。



 一瞬、二人の間に、共に全力を尽くして戦ったライバル同士に、奇妙な友情が芽生えたりするような雰囲気が流れる。夕陽に向かって走り出したくなる、かも知れない。



 が、そんなムードをぶち壊したのも、やはり彼だった。
「流石俺さまのハニーだぜ〜」
 とかなんとか言うと、いそいそとリフィルにくっつきに行こうと立ち上がる。




 前言撤回。ジーニアスの頭の中を、そんな四文字熟語がよぎった。
 誰がこんな男と似てるものか。
 ジーニアスはがばりと起き上がると、腹式呼吸で思いっきり怒鳴った。
「誰がお前のだッ!」









 大変長らくお待たせしました(汗)
 とても素敵なリクだったのですが…。全然違うよ、自分!!
 ジーニアスが黒い(苦笑)。
 こんなはずじゃなかったのに。
 こんなのイメージと違うよ!と思われましたら、いつでも仰って下さいませv
 速攻で書き直しますので!!
 500HIT、踏んで頂いて本当にありがとうございました!!!