これが、噂の。





 柔らかい弧を描くくせっ毛の上には、空色のリボンのついた丸い帽子がちょこんと乗っている。肩の大きく開いた衣装は、袖と胴の部分が別で、縁飾りや模様は全て母なる大地の色である真紅。生地は優しい生成り色で、それが彼女の肌の白さを際立たせていた。
 下半分は、さらっとした肌触りの麻で作られたパンツ。その色もまた、真紅だった。





 頬が弛むのを、抑えられない。





「…何、ニヤケてるのよ」
 着替えていた部屋から出て来たリフィルは、その出口で待ち構えていた男へ、思わず呆れた台詞を吐いた。
「…期待どーりだなあって」
 語尾にハートマークがついている。彼女は嘆息したが、別にそれが嫌な訳ではない。するりとゼロスの隣に並ぶ。
「そうかしら」
 服装には頓着しないリフィルらしい。あっさりとそう言い切った。





 久し振りにアスカードに立ち寄ったロイド達一行は、村長や街の人々に熱烈に迎えられた。それもこれも、前回立ち寄った際にリフィルが代役を務めた儀式が、噂に噂を呼んで、大変な語り草になっているせいらしい。そして、住民に話を聞いた観光客たちが、見たいと騒ぎ出したちょうどその時、当の本人がひょっこり現れたのだった。
 村長や観光客に泣きつかれ、しぶしぶもう一度巫女をやることをリフィルが承知したのを喜んだのは、彼らだけではない。噂にだけ聞いていたハニーの麗しい姿を見れることになり、アホ神子ことゼロスも、かなりうきうきしていたのだった。





「しっかし、見れて良かったぜ、ホント!もう、ロイド達が羨ましかったのなんのって」
「あの子達、強調して言いすぎよ。おかげで恥ずかしいったらないわ」
 どんな服を着ようとあまり気にしないが、はやし立てられるのは堪らない。げんなりとリフィルが呟く。
「何でさ。ほんとに似合ってるのに。お持ち帰りしたいくらい♪」
 弾んだ口調で、ゼロスがさりげなくリフィルの腰に腕を回した。
「…結局それになるのね」
「ま、いいでないの。…で、儀式なんかほっといて、俺さまとエスケープしない?」
 ぐいっとリフィルを引き寄せて、その耳元に低い声を落とす。大抵の女の子は、これでイチコロだ。だがもちろん、リフィル女史にそれが通用する訳もなく。
「馬鹿なこと言わないの、もう」
 と、一蹴した。ゼロスは拗ねて口を尖らせ、リフィルの肩に頭を落とした。
 リフィルとしても、いちいち「可愛い」とか「綺麗」だとか、褒めてもらうのは嫌ではない。しかし、わざわざ口に出してやるのもしゃくなだけだ、と自答する。
 つまるところ照れているだけとも言う。
 代わりに肩の上のゼロスの頭を優しくたたく。





「…それにしたって、誰もいないのね」
 リフィルの着替えに充てられたのは、街にある三つの宿屋のうち、一番立派な一軒だった。二人が立つ玄関ホールは場末の観光地の宿にしては上品で豪華な内装をしている。建物もなかなか大きいが、ホールも広い。しかし今、その広いホールはがらんとして、人気がまったくなかった。
「もうみんな、準備に出てるんじゃないか?」
「呼びに来るまで待っていた方が良いわよね」
「そうだよな。…ってことは、それまで巫女さん独り占め〜♪」
 八人という大勢の旅では、二人っきりになれる機会など滅多にない。折角のチャンスを無駄にしないためにも、ゼロスは嬉々としてリフィルに抱きついた。
 そんなゼロスの行動は、リフィルにとってはお見通し。仲間の前なら照れて投げ飛ばしてやるところだが、いない時ならたまにはいいだろう、と仏心が頭を覗かせたので、好きなようにさせてやる。
「…人が来る前に、ちゃんと放して頂戴」
「わかってるって」
 ふかふかー、とか言いながらくっついてくるゼロスに溜め息が零れた。本当に放してくれるか、かなり怪しい。





 いつの間にか、この腕がこんなに居心地良くなっているなんて。
 共に感じる孤独感も、お互いへの無意識の依存も。
 優しい言葉も、仕草も、視線も。


 でも、時折頭の中でもう一人の自分が言うのよ。
 そんなに他人を信用していいの、と。


 だから、私は常に恐れてるの。
 いつかはこの腕が、自分を離しはしないだろうか、と。





「リフィルさん、支度出来ました?」
 あまりにもナイスなタイミングで、宿屋の入り口が開く。満面の笑顔で入ってくるアイーシャを先頭に、ライナー、ハーレイが続いている。突然の闖入者に、ゼロスに抱きすくめられているリフィルは一瞬固まる。が、耳元で聞こえた鋭い舌打ちに、我に返る。
「ご、ごめんなさい!」
 入られた方も吃驚だが、入った方も吃驚だ。先頭のアイーシャが真っ赤になって激しく頭を下げる。
「別に、そんな謝ることじゃなくてよ」
 いつも通りの穏やかな口調を装いつつリフィルが答えるが、やはりなんとなく顔が朱に染まっている。するりと、何事もないようにゼロスの腕をすり抜けた。
「へえ、アレ、リフィルの恋人?」
 ハーレイがニヤニヤ笑いながら言うのを、アイーシャが問答無用で腹に一発叩き入れて黙らせる。
「もう、ハーレイったら!」
 一生懸命ごまかそうとしてくれるアイーシャに微笑みかける。リフィルは是とも否とも言わず、尋ね返した。
「もう儀式が始まるのかしら?」
「ええ。それで私たちが呼びに来たんです。ね、兄さん?」
 アイーシャは蹲るハーレイは放っておいて、後方にいる兄のライナーに同意を求める。
「え、ええ」
 石の様に固まっていたライナーが弾かれた様に頷く。引きつった顔をほぐしながら、ぎこちなくリフィルに笑いかける。
「そうだ、リフィルさん。村長から石舞台を調査する許可を貰ってるんです。儀式の後、少しなら時間がありますよ」
「本当か!?」
 さっきの恥ずかしさはどこへやら、途端にリフィルは瞳を輝かせる。
「素晴らしい!そのためにも一刻も早く儀式を終わらせなくては!」
 嫌々儀式を引き受けた訳ではもちろんない。だが、遺跡と比べるとなると、眼中に残るのがどちらかは明白だ。リフィルはうきうきと弾んだ表情で、ライナーに調査について弾丸のように話し始めていた。
 暴走遺跡モードを久々に見たアイーシャとハーレイは顔を見合わせて思わず吹き出し、ライナーは明らかにほっとした顔をしながらリフィルと熱く語り出した。





 …そこまで生き生きしなくっても。





 一方のゼロスは面白くない。まったく理不尽な気がしていた。
 折角普段は見れないような綺麗な格好をしたリフィルを前にして、それを邪魔された挙句、肝心のリフィルは邪魔されたことよりも、遺跡について熱く語るのに夢中。
 …しかも、他の男と。
 とても嫌な、どろどろとした気持ちが胸の中に溜まり始めていた。





「…俺様、邪魔みたいだし。先行ってる」
 そうしたい訳じゃないのに、言葉が刺々しくなるのが抑えられない。冷たく言い捨てると、すたすた扉の方に向かう。
 様子が違うことに気付いて、リフィルの遺跡モードが引っ込む。横を通り過ぎようとしたゼロスの腕を掴んで、リフィルが訝しげに尋ねた。勿忘草色の瞳が、細められて彼を見ていた。
「…何を怒ってるの?」
「別に、何も」
「嘘おっしゃい。そんな、なんでもない顔してなくてよ」
「何にも、ない!」
 リフィルの視線を振り切り、声を荒げる。きっぱり否定され、怒鳴られては、リフィルも引き下がってはいられない。掴ませまいと暴れる右手をがっしり抱え込むように掴み、強い口調で続けた。
「何にもない訳ないでしょう!…あなたらしくなくてよ?」





 俺らしい?
 俺らしいって何だよ。
 わかったような口を聞かないでくれ。
 俺の苛立ちの理由すら、君は気付いてくれないのに。





「…じゃあ言うけど。リフィルは、そんなに遺跡や研究が大事?俺よりも?
 いつだって、それには喜ぶ。…俺が何を言ったって、喜んでくれないくせに!」
 リフィルの切れ長の瞳の両端が、くっとわずかに上がった。
「…ちょっと、誰もそんなこと言ってないでしょう!」
「言ってる!」
「言ってないわよ!」
 ここまで一気に叫んで、ゼロスは大きく息を吸う。けれど、深く息を吐いても怒りは収まらなかった。
 ゆっくり、髪をかき上げる。
 落ち着きたかった。喧嘩なんてしたくなかった。
 けれど、靄のかかったような頭では、怒り以外の言葉は思いつかなかった。





「…嫌いだ」
 遺跡も、研究も、あの男も。
 いや、君の心を、俺から引き離すものは全て。





 たった一言が、ぼとんと心の中に落ちてくる。とてもとてもすごい音をたてながら。
 リフィルの切れ長の瞳の両端が、わずかに上がる。引き結ばれた口元からは、恐ろしいほど低い声が紡がれる。
「そう…。私も、大っ嫌いよ。あなたなんて」
 言葉を言い切らないうちから、リフィルは勢い良く踵を返した。一秒たりとも、ゼロスの顔など見たくもない、そんな気持ちで。とにかくこの場から消え去りたくて扉を押し開け、猛烈な早足でずんずん歩いていった。アイーシャが、リフィルの背とゼロスを見比べておろおろし、ハーレイは嘆息して頭を掻く。ライナーは、厳しい顔でリフィルの背を追っていった。
 ゼロスは、走り去るリフィルの背中から目を離すことが出来なかった。自分が捨てられた子犬のような視線で、彼女を見送っているのかも気付かずに。





「…ま、深くは聞かないけど」
 ゼロスの肩に手をかけ、ハーレイがにやっと笑った。
「とりあえず、悩む前に追っかけた方がいいんでない?」
 そう言って、開け放たれた扉の向こうを指差した。





 嫌い。
 その言葉を、彼女は幾度味わったのだろう。
 ハーフエルフだと知られる度。
 一度は受け入れられたものから、完全に拒絶される。
 それは初めから拒絶されるよりも、もっともっと辛いこと。



 欺かれる事、媚びへつらった顔で嘘をつかれるのが、自分は嫌いだ。
 彼女はそれに気付いていて、決して自分の前では嘘は言わない。
 厳しい言葉はズバッと。優しい言葉さりげなく。
 愛しい言葉はひたすら照れながら。
 それなのに自分は、彼女が望まぬことすら理解していなかった。
 傷付くと分かりきっている言葉さえ、あっさりと口にしてしまうほどの愚かしさ。
 彼女が突っぱねるのも当然のこと。
 失いたくない。その気持ちが盲目過ぎて、逆に大切なものを失うことになりそうだなんて。





 自分は、本当に馬鹿だ。





 気持ちに引っ張られるように、体が動き出す。開け放たれた扉の向こう。既に見えない人の背を目指して。
 慌しくいなくなったゼロスの背を、応援を込めてハーレイとアイーシャが見送る。高く口笛を吹いて、ハーレイが言った。
「こりゃ、ライナーには分がねぇな」
「そうねぇ」
 二人は顔を見合わせ、笑みを交わした。
 もうすぐ、儀式が始まる。







 今日のアスカードは、ぽっかりした雲がいくつか浮かんだ気持ちのいい日で、綺麗な巫女さんを楽しみにしている観光客や町の人々がたくさん集まっていた。大勢の人々がガヤガヤと朗らかに喋っている。こんなに賑やかな場所で、これから厳粛な儀式が行われるとは想像がつかなかった。
「なあなあ。…先生、どうしたのかな?」
「ね、すっごくピリピリしてるね。緊張してるのかな?」
 儀式の準備を手伝うロイドとコレットが、石舞台の横に立つリフィルを見て小首を傾げ合う。リフィルの気持ちが荒れているのは誰にもわかった。苛々しているオーラを感じて、つい近寄りがたい。
 遠巻きに見守るギャラリーの期待を背負う形で、しいなはリフィルに錫杖を渡し、衣装を整える。それでも無言のリフィルに、しいなは呆れ果てて嘆息混じりに言った。
「何だ、喧嘩でもしたのかい?」
 誰と、としいなは言わなかったがその相手は明らかだ。
「…しいなって鋭い」
 ぽつりと、リフィルが答える。
「鈍いあんたじゃないんだから。誰だってわかるよ」
 しいなの言葉はもっともである。
「そう、よね。私、鈍いわよね」
 しいなと話すうちに、刺々しいオーラがどこかに飛んでいってしまったようだ。リフィルは半ば呆けたように呟いて、溜め息を連発している。
「どうしたのサ」
「…売り言葉に買い言葉って感じ」
「ははあ、売られた喧嘩を買っちまったって訳かい」
 しいなの声が笑いを含んだ。
「…笑い事じゃないわよ」
 喧嘩を買ってしまったことを、リフィルは相当後悔しているらしい。落ちた肩、重い足取りでは儀式が映えない。しいなはばしんとリフィルの背を叩いて、喝を入れた。
「大丈夫だって!アイツのことだから、すぐに謝ってくるハズだって。だから、ほら、しゃんとしな」
「…わかってるわ」





 嫌いだと言われて、頭の中が真っ白になったのは久しぶりだった。
 嫌われるのが当たり前。
 そういう世界で生きてきた。
 だから何を言われても平気だったはず。



 なのに、今の私は、その言葉で突っぱねられることを何より恐れている。
 そして、彼もまた同じなのだと、知っていたはずだったのに。






「私、本当に馬鹿だわ…!」
 ぎゅっと両手を握り締めて、搾り出すように呟く。
「アンタが後悔してるなら、アイツも絶対後悔してる」
 正面で、しいなの優しい言葉が低く囁かれた。顔を上げずに、リフィルは続けて尋ねる。
「…そうかしら」
「そうだよ」
 リフィルの肩から、ふわりと力が抜けるのがわかった。しいなが再び、ぽんっと背を叩く。
「だから、大丈夫さ」
 子供に対するように心配してくれるしいながおかしくて、リフィルはつい笑い声をこぼした。これじゃどっちが年上なんだかわからない。
 それを見たロイドとコレットが安心した表情で寄ってくる。
 どう謝ろうか。笑顔の教え子達と話しながら、頭の片隅で考え始めた。





 その矢先のこと。
「ごめん!」
 突然掛けられた謝罪の言葉と、下げられた緋色の頭。
 リフィルはただぱちくりと、それを見つめ返した。








 しゃあん。
 鈴の音が響いた。
 しゃあん。
 風の精霊を祀る遺跡には相応しく、吹き付ける風が鈴の音を街中を、いや街を包み込むくらいに広がってゆく。
 人々は皆、言葉もなく儀式の成り行きを見守っていた。一度この雰囲気に飲まれてしまえば、そこには野次馬のような気持ちは残らない。ただ、同じ儀礼、同じ空間、同じ時間を皆が共有していることに気付く。
 ただそれだけだ。
 ね、素敵でしょ?
 彼女が言ったことが、少し理解出来た気がした。




 石舞台の上の、リフィルの衣装も風をはらんで大きくはためいている。白銀の髪は背に流れ、空色のリボンが背後の空と同化する。勿忘草の瞳は真っ直ぐ正面を捉えていたが、その視線は厳しいものではなく穏やかな微笑が浮かんでいた。
「…アンタのあんな姿を見る日が来るとは、思わなかったねぇ」
 視線を向けずとも想像がつく。隣のしいなの表情くらい。その呆れたような含み笑いが、全てを物語っているようなもの。
「だな」
 ごく短く答える。また耳に鈴の音が届く。





 やってくるなり頭を下げたゼロスは、その場で、つまり観衆の面前でリフィルに謝ったのだった。もとより自分から謝ろうとしていたリフィルである。是と答えない理由はない。悪目立ちするのが嫌いな彼女にとって、注目を浴びるのは不本意だったようではあるけれど。
「…だって、宣言しとかないと。悪い虫がつくし」
 彼女が望む望まないに関わらず。
 冗談を言っているのではない口調に、しいなはつい吹き出した。
「アンタの取り巻き連中が知ったら卒倒するね。アンタが女の子と喧嘩した事も、あんな風に宣言した事もサ」
「本気で欲しい相手に本気でぶつかるのは当然でしょーよ」
「よく言うよ」
 それで喧嘩してヘコんでいたくせに。
 舞台の上からは祝詞を詠むリフィルの声が流れ始めていた。鈴の音と同じく、強い風に乗って彼女の声も遥か彼方まで飛ばされて行く。
 本来人の声が届くはずもない、街のいたるところに声が響き渡るのだ。その驚きといったらかなりのものだろう。この石舞台が祭祀の場所だったことが良くわかる。
「…なかなか良かったな、この街」
 喧嘩をしたけど、自分が抱える気持ちも、リフィルが抱える気持ちも知る事が出来た。
 そしてなにより。
「綺麗な巫女さんも見れたしな〜♪」
「現金な男だねぇ…」






 優しいリフィルの声を聞きながら、決意する。
 もう、彼女を傷つけないと。
 そして、今この瞬間、着実に増えているであろうライバル達には、絶対に負けるまい、と。











 空豆莢さまよりお受けしました、3333ヒットのSSです。
 本当に長々とお待たせしてしまいました…。

 ・巫女さんイベント
 ・「嫌い」と言わせる
 ・ゼロリフィ←ライナー
 と、リクを頂いたのですが、何だか上手くこなせていません…。
 ライナー兄さんはどこへ消えた(大笑)
 すみません〜。折角素敵なリクでしたのに(汗)
 しかも、ありえんくらい長いですがな…。
 嫌いと言わせるネタは、前から良いなーと思っていたのですんなりでしたが…。
 返品・書き直し、何でも可!ですので、遠慮なく仰って下さいませ〜。

 お待たせした挙句、変な物になってしまいましたが、どうぞお持ち帰り下さいませ〜。
 リクありがとうございました!!
2004.11.7