まぶしい





 いつもいつも、リフィルはあたしの手の届かないところにいる。
 みんなに頼られて、守られて。
 …あいつに、愛されて。


 あたしは、彼女を信頼に足る仲間だと認めている反面、いつも彼女を羨んでいる。
 彼女のようになりたくて。
 彼女のいる場所に立ちたくて。


 でも、この思いは叶わない。





 ヒルダ姫を救出し、晩餐会に招待されたロイド達一行は、会場の隣のワイルダー邸を使って晩餐会へ行く支度をしていた。
 普段主のいないワイルダー邸は使用人も少ない。女性組は、おのおの自分たちで支度を整えていた。
「ほら、リフィル。こっち来な。頭整えてやるから」
 着替え終わったしいなが、リフィルを手招きする。顔を輝かせたリフィルがいそいそと鏡台の前に座った。
「…いいわね、しいなは。何でも出来て。羨ましいわ」
「そうかい? あたしには、あんたの方がよっぽど、何でも出来るように見えるよ」
 リフィルのくせっ毛を形良く整えながら、しいなが答えた。




 頭もいいし、冷静沈着、そして何より容姿も美しい。
 しいなにとって、自分がリフィルに憧れ、羨ましく思うのは至極当然のことなのだが、自分がリフィルに羨ましがられるのはどうにも変な気持ちがする。




「…そんなことなくてよ。私に出来るのは、せいぜい頭を少し使うことだけだわ」
「あのねぇ…、そのあんたの頭がどれだけあたし達の役に立ってると思ってんのさ」
「そうかしら…」
「そうさ。それに、あんたは少なくとも、そこにいるだけであいつの救いになってる」
「…やめてよ、恥ずかしい」
 しいなはくすくす笑いながら、耳まで真っ赤になって、そっぽを向くリフィルを、前に向かせる。
「ほい、出来上がり」
 そして、リフィルの肩に両手を置き、穏やかに笑った。




 鏡の中のしいなの笑顔を見て、胸がちくりと痛む。
 どうしてそんなに優しく笑えるの、しいな?
 あなたは、ゼロスのこと、好きなんでしょう?
 私のこと、憎くないの?
 そうやって何もかも、寛大に許せてしまうあなたが、私は羨ましくて仕方がないの。





「おーい、入ってもいいか〜?」
 言葉と共にひょいっとドアが開けられる。悪びれもせず顔を覗かせたのはゼロスだ。その後ろには一生懸命室内から目をそらしているロイドの姿が見える。どうやら彼は導き温泉で、のぞきをしたと勘違いされたことが、余程恥ずかしかったらしい。
「あんたねぇ…、普通そう言ったら開けないもんだよ。この色魔」
「まーまー、いいじゃないの。って、リフィルさま〜! ゴージャス、ビューティフル!」
 しいなのつっこみにもまったくめげず、ゼロスは部屋に入るなり黄色い声を上げてリフィルに飛びつく。
「ちょっとゼロスッ! 公衆の面前で抱きつかないでって何度言えばわかるのよっ」
 赤くなったリフィルが、首に抱きついてきたゼロスの額を力いっぱいぶん殴った。壁に叩きつけられ悶絶するゼロスに、白けた視線を送り、しいなが言う。
「で? 何か用があるんじゃなかったのかい?」
「いや、もうそろそろ行く時間だから、呼びに来たんだよ」
 返事をするどころではないゼロスの代わりに、ドアから半分顔を覗かせているロイドが答えた。それを聞いたリフィルが顔をしかめる。
「待って。まだしいなの準備が終わってないのよ」




「ああ、いいよ。先行ってて?」
 あっさりとそう言ったしいなに、リフィルも、コレットも慌ててしいなをとめようとした。
「ちょっと待って、しいな! すぐに髪整えてあげるから!」
「いいって。あたしはこういうパーティ、初めてじゃないし。髪も自分で出来るしさ」
「でも…」
「わかった。んじゃ、先行ってるぜ」
 引き止めようとしたリフィルの言葉を、ゼロスが遮る。薄情な台詞に、リフィルがゼロスをきっと睨むと、しいなの存外明るい声がそれを制した。
「いいよ、リフィル。楽しんできな」
「ほら〜、しいなもああ言ってることだし。行きましょ〜、リフィルさま♪」
 リフィルの手を取り、ゼロスは廊下へスキップしながら出て行った。廊下の外から、苛立ち交じりのリフィルの声が聞こえてくる。しいなを置いて行ったゼロスがどうにも気に入らないらしい。しいなとゼロスの出て行ったドアとを交互に見比べ、コレットが困った顔でおろおろしている。それを見て、しいなは顔をくしゃっとして、コレットに微笑みかけた。
「ほら、コレットもプレセアも、ロイドも。早く行きなって。始まっちまうよ?」
「しいな、絶対にすぐに来てね。待ってるからね!」
 しいなの笑顔に見送られ、後ろ髪を引かれつつも、彼らは部屋を後にする。





 嵐の後のように静かになった部屋の中で、しいなは一つ溜め息をこぼし、さっきまでリフィルが座っていた椅子に倒れるように座り込んだ。隣の晩餐会の会場からは、緩やかなワルツの音が聞こえ始めていた。パーティの始まりだった。



「もー…。どうしてあたしは、しっかりやれないのかねぇ…」
 もう少し自分の演技が上手ければ、リフィルに余計な気を使わせることもないのに。
 自分の頭の中での整理はついている。後は、時間が感情を風化させてくれるのをじっと待つだけだ。たぶん、それもそう遠くはないだろう。



 談笑する人々の声が聞こえる。だが、コレットにああ言ったものの、すぐに髪を結い上げてパーティに行く気分にはさらさらなれなかった。もう少し頭を冷やしたい。
「…しいな? まだいたのか」
 ふいに扉が開いて、穏やかな気配を持つ男が入ってくる。
「あ…、リーガル。あんたもまだ行ってなかったのかい?」
「まあな。お前がまだだと聞いたのでな。様子を見に来た」
 律儀に扉を閉めて入ってくるリーガルに、しいなはややトーンの低い声で言った。
「ああ、いいよ。先行ってて。あたしもすぐに行くからさ」
「なに、私もあの手のパーティは毎度のことだし、特に行きたいというわけではない。後で顔を出すぐらいでちょうどいいのだ」
「そっか」
 薄く微笑んで、しいなはリーガルの姿を上から下まで改めて眺めた。いつもざんばらの青い髪は梳られ、後ろで一つにまとめられている。青と白を基調にして作られた礼服は、彼にぴったりだった。
「こうみると、あんたってダンディだよね、ほんと」
「…しいなの方こそ。とても美しいぞ」
 お世辞ではなく、リーガルは本音でこう言った。
 確かに、城から贈られたドレスはしいなによく似合っていた。肩の大きく開いていて、丈が極端に短い、ワインレッドのドレスなのだが、その際どいデザインも、抜群にプロポーションのいいしいなが着ると、きりっと引き締まって見える。もしこれをコレットが着たらとんでもない笑い話になっていたに違いない。
 率直に褒められて気恥ずかしく、しいなはふいっと顔を逸らした。
「…そんなことないよ」
 そのまましいなは黙り込んだ。リーガルは短く嘆息すると、座っているしいなの後ろに立って、しいなの黒髪にそっと触れた。
「リーガル?」
「私だって、女性の髪を結うことくらい出来るぞ。…コレットが待っているのだからな。急がなくては」
「あんたって…、本当に何でも出来るんだねぇ」
 感心半分呆れ半分でしいなが言った。言葉の代わりに、リーガルは小さく笑った。
 手枷をつけたまま、器用に髪を梳かし上げていく。





「…ひどい男だな、あいつは」
「ん?」
「ゼロスのことだ」
「ああ」
 リーガルの言い草が、まったくその通りだったので、しいなは思わず忍び笑いをもらした。
「あいつ、ちゃんとわかってやってるよ。今は、あたしが一人になって頭を冷やしたいのに気付いて、先に行ってくれたのさ。…そういうこと、素直にはやらないの、絶対」
「…いいのか?」
 気遣わしげに、リーガルが尋ねた。両手を広げ、しいなは肩をすくめて小さく笑う。
「いいも何も。あいつはリフィルが好きで、リフィルはあいつが好き。他に何か大事なことある?」
「そうか…。いや、ないな」
 しいなの気持ちを汲んで、リーガルはそれ以上は言わなかった。
 窓の外に目を向け、しいなは続けた。彼女の表情は穏やかで、微かな笑みも浮かべていた。
「だろ? …あたしはね、リフィルが好きだよ。ちょっと手厳しいけど、いつもあたしのためになることを言ってくれる。嫌なことも包み隠さず言うし嬉しいことは一緒に夢中になって喜んでくれる。
 大好きな人が二人とも、お互いに好きなんだったら、応援してあげるのが人情ってモンじゃないかい?」




 柔らかな沈黙のヴェールが、二人の上にそっと降りる。
 しいなは自分が抱いている気持ちに満足していたし、リーガルもしいながそれでいいならとやかく言う権利はない。リーガルがしいなの髪を梳る、さらさらいう音だけが、静かな室内に響いていた。
 しばらくして、リーガルがぽつりと呟いた。
「…お前はまぶしいな、しいな」
「…そうかな。あたしから見れば、リフィルの方がよっぽどまぶしく見えるよ」
「まあな。確かにリフィルは素晴らしい女性だが、少なくともしいなも、リフィルに負けたりはせん」
「…ありがと。それ、最っ高の褒め言葉だよ」
 俯き加減で返した感謝の言葉はとても微かだった。前髪で隠れた顔が赤くなっているのが、よくわかる。
 そんなしいなの様子を見てリーガルは、リフィルやゼロスがしきりにしいなに構うのが納得出来た。確かにこんな妹がいれば、からかいたくも可愛がりたくもなるものだ。




「さ、出来たぞ」
 しいなの髪は、見事なアップにまとまっていた。きっちりと結い上げた髪は、後頭部で一つにまとめられ、小さなコサージュもついている。鏡に自分の頭を映し、しいなは満足げな溜め息を吐いた。
「すごいねー…」
 お世辞でもなんでもなく、本気ですごいと思う。手先は器用だし、料理も上手。これなら彼がもてたのは間違いないだろう。生真面目そうな外見とは裏腹に、妙に慣れたところのある、彼の行動の原因がわかった気がした。
「これくらいお安い御用だ」
「はは…。…ありがと。色々、聞いてくれたり、言ってくれたりして。なんか、だいぶ気分が軽くなったよ」
「うむ…。これくらいで気分が晴れるなら、いつでも聞こう」
 笑顔で感謝を述べるしいなに応えて、リーガルも明るく笑った。




「さて、行くか?」
 立ち上がると、しいなは返事の代わりにリーガルの太い腕に、自分の白い腕を絡ませた。一瞬、固まったリーガルだったが、しいなは自分を見上げてにっこり笑っている。
 彼女の笑顔は、輝いていて、本当にまぶしかった。
 ほとんど父親のような気分で、リーガルが答える。
「…美しいパートナーで光栄だな」
「っ…。そういうことをさらっと言わないでよ…」
「?」
 結局のところ真っ赤になったしいなと、怪訝そうな表情のリーガルが、腕を組んで晩餐会の会場に現れたので、ロイドたちが騒然としたのは、また別のお話。











 結局しいなとダンディばかりが溢れてしまいました(笑)。
 まあ、しいなが書きたかったのでいいんですが。

 私の中で、しいなはみんなのアイドルです。先生とゼロスには妹のように可愛がられ、ロイド達には姐さんで、リーガルにとってはもはや娘(笑)。
 それもこれも、彼女が純粋で真っ直ぐで、みんなが憧れるけれど、なかなか辿り着けないところに居るからでしょう。
 すぐに照れるようなところも大好きなコです。