正直な手





 いつになっても人込みは苦手である。
 この中に、彼女の血を知っているものは仲間達ぐらいしかいないはずだし、それを承知で招いたのはヒルダ姫だから、もしバレても追い出されることはないだろう。そう考えても落ち着けない感じは消えなかった。
 ヒルダ姫に招待された晩餐会の途中、リフィルはふらりとテラスへ出た。
 夜風が涼しい。半月の、さして強くない月明りが、夜にわずかな明かりと大いなる闇をもたらしてくれている。光明のない新月よりも、眩すぎる満月よりも、リフィルはこの月が好きだった。
 表面はきちんと見せるけれど、その奥や細部は闇に紛らせる。そうやって生きて来たから。
 目を閉じて、ゆったりしたワルツに耳を傾ける。ダンスに興味はないが、たまにはこういうのも悪くない気がしていた。
 そう、完璧に油断しきっていた瞬間だった。不意に、背後に気配を感じたのは。
「…うわ、びっくりした。いきなり振り返らないでちょーだいよ」
 風を切るような速さで振り返ると、いつの間に忍び寄って来たのやら、赤毛の神子が引きつった笑顔で立っていた。その情けない顔を見たら、自然と肩の力が抜けた。
「…一般的に考えて、そんな風に無言で寄ってくる方が悪いと思うわ」
 呆れたような、苛ついているような口調で返すと、ゼロスはにかっと笑って、両手に持ったグラスの片方を差し出した。触れれば割れそうなくらい薄いワイングラスの中には、美しい琥珀色の飲み物が波打っている。
「ありがとう」
 あっさりとそれを受け取る。一瞬触れそうになった指を、リフィルは気にも留めなかった。それは大きな進歩なのだと、彼は知っているのだろうか。テラスに寄り掛かり、ワインを舌の上で転がす。とろけるように甘いその味は、高級な酒の証拠だった。
「…リフィルさま?人の多いところは嫌い?」
 無言でワインを傾けていたゼロスが呟くように言った。そうやって見透かされたようなことを言われるのには、既に慣れた。不思議なくらい、彼はリフィルの気持ちに気付いた。
 ふわりと微笑み、グラスから顔を上げる。
「そうね。…あなたこそ?」
「あらら、俺さまってそんな風に見える?」
 彼は、へらりと意外そうに答えた。
「さあ。本気で楽しんでいるようには見えなかったから」
 曖昧に笑って、ゼロスはワインを口に含んだ。そのまま、言葉を飲み込んでしまうつもりなのかと思ったが、彼は自然に続けた。
「嫌いじゃないさ。少なくとも、俺は楽しんできたと思うし。女の子達に囲まれるのも、大人達にへいこらされるのも」
「…思い込もうとしてた、の間違いじゃないの」
「あ、それ正しいカモ」
 憮然と言ったリフィルの言葉にかぶるように、ゼロスは声を上げて笑った。
「嫌いなヤツはいなかったよ。でも、…好きなヤツもいなかった、な」
「そう…」
 返す口調がわずかに沈んだ。ゼロスの言葉には自嘲のようなものが含まれていたから。彼がこんなところを見せるのは、珍しい。
「ま、今は違うけどね。ロイド達も、リフィルもいるし」
「…そう思うのなら、もうあんなことは止めて頂戴よ」
 救いの塔でロイド達を欺くために裏切りの演技をしたことを、リフィルは今も根に持っている。ゼロスは苦笑混じりで謝った。
「わかってる。もうやらない」
「どうだか」
「ほんとだってば〜」
 ワイングラスをテラスに置くと、冷たい視線を送るリフィルの手を捉えた。彼女の右手のワイングラスを奪い取ると、それもテラスに置く。
 さっき触れたときには何とも思わなかったのに、心臓がどきりと鳴った。
 リフィルの右手を掲げて、半ば引っ張りながら天真爛漫な笑顔で言う。
「じゃ、お詫びに。一曲、お相手願えますか?」
 ここぞとばかりに会心の笑顔を浮かべるゼロスも、つい意識してしまう自分の正直な手も、恨めしい。取り繕うことも出来ず、リフィルは照れを必死に隠しながら答えた。
「…ちゃんとリードしなかったら帰るわよ」
 言った途端に、ゼロスは弾けるように笑い出した。
 導かれるままに、ホールの中心へと向かっていく。人々がさっと場所を譲った。
 曲が始まる直前、正面に立ったゼロスが微笑んだ。満面の、自信に満ちた笑みで。

「俺さまをなめるなよ」
 鳥のように軽やかに、ゼロスは一歩踏み出した。




正直な手


一万打御礼企画第四弾。

期間過ぎてすみません!本命(笑)、ゼロリフィでした!
人に触れられるのを嫌がっていた先生が、
いつの間にか嫌がるどころかときめくようになっていたと(笑)
そんな感じですvv

日頃の感謝を溢れるくらい込めて。
一万打ありがとうございました!

2005.4.1