きっと残らず





「おろち、聞いて聞いて〜!」
 往来で息子の姿を見つけた母は、叫ぶなり息子の首に抱き付いた。
 普段から明るい母ではあるが、こんなにはしゃいでいる姿はなかなか見ない。忍装束を着たままなのを見ると、任務から帰ってきたばかりらしい。
「は、母上?どうしたの?」
 と、驚きながら母に尋ねる。
 8歳にもなれば、修行も本格的になり、段々一人前と認められるようにもなる。特に彼は両親の血を継ぎ、優秀だと褒められることが多いので、こんなところで母親に抱き締められているのは子供っぽくてかなり恥ずかしかった。が、何よりこの母に勝てる訳もないし、元来穏やかなおろち少年は余計な口答えはしなかった。
 母は少女のように弾んだ声と、きらきら輝く瞳で、こう叫んだ。
「お祖父ちゃんが女の子を拾って来たの!」
 と。


家に帰ったおろちを出迎えたのは、玄関で旅装を解いている父だった。どちらかというと温和な顔立ちの父が、無精髭を生やした精悍な顔になっている。足袋を緩め、足を伸ばしていたところにおろちが駆け込むと、父は彼を破顔して出迎えた。
「お帰り、おろち。元気だったか?」
 頭を撫でてくれる父の大きな手に瞳を細める。任務でしばらく里を離れていた父に、久し振りに甘えたかったが、今はそれよりも気になることがあった。
「お帰りなさい、父上っ!ねぇ、お祖父ちゃんが女の子を拾ったって本当?」
「こら、お祖父ちゃんじゃなくて頭領だろう?」
 余程急いで帰ってきたのだろう。上気してほんのりと紅を差したようになっている息子のおでこを、こつんと叩いてたしなめる。だが、それ以上はくどくど言わなかった。
「母さんに会ったんだな?じゃあ、話は聞いてるな。頭領とその子は奥の座敷にいる。会っておいで」
「うんっ!」
 おろちは元気に頷くと、優しい父のまなざしに見送られて、荷物も持ったまま広い屋敷の奥に駆け出した。
 よく出来た子よ、優秀な子よ、と大人の間で噂される息子も、まだまだ子供である。こけつまろびつ走って行く後ろ姿に、父は微笑みをもらした。


「どうじゃ、可愛い子じゃろう?」
 祖父である頭領の室に飛び込むと、頭領はにこにこと蕩けるように笑いながら言った。ご飯をたらふく食べ、風呂に入ってさっぱりした少女は、頭領の部屋の布団ですやすやと眠っていた。
 女の子を拾った時の様子を頭領が話してくれた。衣はぼろぼろで全身真っ黒。かすり傷も体中に負って、おまけに死ぬほど腹を空かせていた。少女はかなりの間ガオラキアの森をさ迷っていたらしい。  布団の中で安心しきっている少女は、ほんの3、4歳くらい。艶やかな黒髪が枕にこぼれ、痩せきっているものの、そのふんわりした頬や幼児らしい唇はとても可愛らしかった。
 頭領が自慢げにそう言うのも、よくわかった。顔のすぐ近くでしげしげと観察しても、少女はぐっすり眠っていて、周りの会話にも目を覚ます様子はない。
「うん!」
 夢中でそう頷くと、頭領は益々笑顔を濃くしながら、おろちの頭に手を載せ言った。
「今日から、お前の家族じゃ」
「本当に?」
 おろちは顔を輝かせた。こんなに可愛い子が自分の家族になるなんて、嬉しくて信じられないくらいだった。見上げた頭領の顔も、本当に嬉しそうだった。
「そうよー。皆の家族」
 障子の隙間からひょっこり顔を出した母が、おろちに笑い掛ける。
「つまり、お前の妹だ」
 母の横から姿を現し、父がおろちの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「…妹」
 聞き慣れない、くすぐったい言葉が耳に響く。じわじわ緩んでくる頬を、母が満面の笑みでつまんだ。母の笑顔の向こうに父、枕元の頭領、そして眠る少女が目に入る。
「この子の名前は、しいなじゃ」
「今日から、お前とくちなわの妹だ」
「これから、あなたが二人を守ってあげてね。お兄ちゃんなんだから。ね?」


「…うん」
 約束しよう。
 笑顔の父に。母に。頭領に。
 これから先、あの子達は必ず守ると。

 どんな時でも、持てる力のすべてを、残らずあげよう。
 どんな時でも、愛しい気持ちを、きっと、残らずあげよう。
 大切な大切なあの子達の為に。

 大切な、大切な家族の為に。




きっと残らず


一万打御礼企画第三弾。

おろち兄さま幼少の思い出。
細かいマイ設定は腐るほどありますが(笑)、とりあえず一つ説明させて頂くと。
蛇兄弟も頭領の孫のつもりです。頭領には息子が1人、娘が1人いたのですが、跡継ぎだった息子が
亡くなってしまいます。で、蛇兄弟は娘夫婦の方の子供で…。とかなんとか(笑)

日頃の感謝を溢れるくらい込めて。
一万打ありがとうございました!

2005.4.1