美味しいケーキの作り方





  小麦粉240グラム。
  バター100グラム。
  ふくらし粉小匙2。
  卵は2つ。
  ミルクをカップに半分ほど。
  ラズベリーにオレンジにレモンにストロベリー。
  バナナにマンゴーにパパイヤまで。シロップ漬けのフルーツをたっぷり入れて。


 大事なミソは、ちょっぴり控えめの甘さ。




 ボウルの中で白くもったりし、角を立たせているバターを見て、ティトレイは満足そうに顔を緩めた。ケーキ作りでは、どの工程でも手を抜いてはいけない。多少の手を抜いても美味しく出来るのが食事作りならば、お菓子作りはまったく異なる。
 レシピ通りにきっちりと。それがお菓子作りだ。
「あらぁ、朝から精が出るわね、ティトレイ?」
「おぅ、姉貴!おはよう!」
 いつもどおりいつもどおり。
 心の中で、幾度となくしたシミュレーションと同じように、明るい声で答える。
 振り返らずにボウルに向かっている弟の背に、セレーナは何か含みのある目を向けた。さら、と若草色の髪が肩に落ちる。
「珍しいわね、こんな朝っぱらから。年越しケーキはいつも午後に作ってるじゃない」
 ペトナジャンカの年越しメニューの一つに、フルーツケーキがある。冬になったら果実も減って、ただでさえあまり食べられない甘い物も、さらにご無沙汰になってしまう。
 そんな年の瀬のちょっとした贅沢が、子供や女性に人気のフルーツケーキだ。
 甘いシロップに漬けたフルーツを使って、甘ぁく仕上げる。
「えっと、まぁ、早めに作っといた方が楽かな、と思ってさ。別に熱々を食うわけじゃないし」
「ふぅん…」
 溶いた卵を入れ、バターと合わせる。微妙に口調を濁しながら言うティトレイの背後で、セレーナはにやりと笑った。
「今日、午後暇?」
「え?午後、はちょっと…。って、俺姉貴に言ってたよな?」
 晦日の午後は用事があるから、と大そうじも全部終わらせてあるし、明日の街を上げての新年会用の料理の下拵えも終えてある。
 後は、何ごともなく新年を迎えるだけ、だったのだが。
「工場の事務所の留守番頼まれちゃったの。あと、明日の新年会の準備にも行かなくっちゃいけないでしょう?私一人じゃとても無理だわ。どっちかティトレイに行ってもらわないと」
「うぇ。……マジ?」
「うん。どっちが良い?」
 料理上手なティトレイは、ご近所のおばさん達から人気がある。新年会の準備に行っても、何の問題もないだろう。
 そう、何の問題もないのだが。
 ティトレイは、困り果てた呻き声を漏らしながら、ボウルの中身をぐるぐるかき混ぜた。姉の言っていることは正論だ。工場の仕事は義務だし、ご近所の新年会だって楽しみだ。バッティングしているなら、片方はティトレイが行かなければならない。
 だが、よりによって今日、とはあまりにも突然過ぎる。
「まぁ、どっちでも良いっちゃいいけど…」
 ちらり、と背後の姉を窺う。セレーナの髪は、その質感以外はティトレイとよく似ている。腰まで伸びたその髪が、彼女が動く度に揺れた。
 ボウルの上に視線を戻し、ティトレイは諦めたような、覚悟を決めたような表情で苦笑した。
「…どっちの方が先に終わるかな?」
 まさかセレーナにだけ行かせる訳にもいかない。だったらせめて短い方で。
 だが、セレーナの返答はすぐには返って来なかった。
「姉貴?」
「えっ。ああ、そうね。新年会の準備の方が早そうね。どこのうちでも皆、やることはあるでしょうから、夜まで集まったりはしないはずよ」
「わかった。じゃあ、姉貴は工場の方頼むな」
「悪いわね」
「いんや。俺にも関係あることだしさ」
 夕方に帰って来れれば、その後すぐ出掛けて、「向こう」に着くのは夜も更けてからだろう。日付が変わる前には着けるだろうが、ぎりぎりになりそうだということに違いはなかった。
(ま、仕方ないよな)
 少し気落ちしたことは確かだが、理由が理由だけに諦めもついた。小麦粉とふくらし粉を合わせてふるいにかけ、ボウルの中に振り入れる。ぱさぱさと粉が霧のように舞い散った。それよりも気にかかったのは、「彼女」の方だった。
(夕方には着く、って言っちまったからなぁ。心配する…だろうなぁ)
 「彼女」は、普段は絶対、口が裂けても心配の台詞なんて吐いてくれないだろうけど、その実口に出さない分だけの心配はしてくれている。「彼女」のところにしょっちゅう出掛けているティトレイの道中も、いつも気にかけていた。そんな「彼女」が、予定より遅くなったティトレイを心配するのは火を見るより明らかだった。
 べちゃっとした、バターと卵を合わせたものに小麦粉をよく混ぜ込む。ダマが出来ないように、丁寧に、丁寧に。空気を取り入れるように、ふわりと混ぜるのがコツだ。
 無心でボウルに向かっていたティトレイの左側にひょいっと頭を覗かせ、セレーナが無邪気に訊ねた。
「砂糖、入れなくていいの?」
「シロップ漬けが甘いからさ。砂糖入れたら甘くなり過ぎちまう。あいつ、絶対食わねぇよ」
「そうよね、ヒルダは甘いものが苦手だものね」
「そうそう! ………っえ?」
 ものの見事に、ティトレイの動きが止まった。リズム良く、生地を混ぜていた手がぴたっと止まる。おそるおそる左側に顔を向けると、飛び込んでくるのは、にこにこにこにこ蕩けるように笑った、姉の顔。
 堂々と弟をたばかり通した姉は、勝ち誇ったように瞳を細めた。
「やっぱりねー♪」
「ややや、やっぱりって、姉貴ッ!?」
「だってあんたってば、どっか出掛けるとは言ってたけど、何処とか誰に会うとか全然言ってくれないんだもの。姉としては気になるでしょう?」
 それは、絶対に俺の行き先を知ってた態度じゃねぇかッ。
 そうツッコミ返してやりたかったが、生憎と口はパクパク開くばかりで、全然言葉になってくれない。不意打ちの驚きと、普段の刷り込みで反論出来ずに喘ぐティトレイは、数瞬後、ようやくガクッと肩を落とした。
「…せめて直接にしてくれよー」
「あら。直接聞いて、ちゃんと答えてくれる?」
 自信はないが、少なくとも心臓には悪くない。
 ひとしきり叫んだ後、ティトレイはこめかみをかいて、急に言い訳がましく弁解を始めた。
「あいつ、孤児院に大人一人だからさ。年末は色々やることも多いし、でも子供の面倒もみなきゃいけないし。だから、何か美味いもんでも持ってってやろうかなぁ、ってさ…。それに、子供達も喜ぶだろうし…」
 ぶつぶつと口の中で転がした言い訳を、弟のことぐらい知り尽くしている姉は、背中への一撃で吹き飛ばした。
「わかってるわよぉ、それぐらい!」
 ティトレイが、人手不足のヒルダの孤児院の為に何かしてやりたいと思っていることぐらいわかっている。また、その気持ちの中には、ヒルダのために、手を貸してやりたいと思っている気持ちが混じっていて、それがティトレイにとっても意味があることなのだということも、よーくわかっていた。
 伊達で彼の姉を18年もやっている訳じゃない。
「いっそのこと、向こうに住んじゃえばいいのに」
 そうしたら、こんな行くだけで半日使ってしまうような無駄なことをしなくてもいい。
 姉のいきなりの台詞に、ティトレイは盛大に慌てた。
「ああああ、姉貴ッ!」
 いくらなんでも、姉が言い出す台詞か、それは。だがセレーナは至極真面目くさった顔で、顎の下に手を当て、思案する顔になった。
「向こうに住めないんだったら、いっそこっちに呼んだら?」
 何処の思考回路をどう使ったらそういうことになるのだろうか。ヒルダの孤児院にいる子供たちが全員クロウ家に納まるとは思えないし、ペトナジャンカで空き家を探したって、家賃等々問題はある。明らかに困り果てている弟をちらりと見て、セレーナは堪えるように肩を震わせ、しまいには我慢出来ずに笑い出した。
「冗談よぉ!やあねぇ、あんたってば!」
 どう見ても本気っぽい雰囲気でしたが。心の中で即座に突っ込んだが、流石に反論する気力はなかった。ばしんばしんと、セレーナは笑いながら弟の広い背中を叩いた。女手一つで弟を育てた、気丈な人である。弟には誰よりも幸せになってほしいと、そう思っての言葉だが、淡い恋愛中の彼には、まだまだ通じないらしい。
 偶然にも、ヒルダと彼女は同い年。共に、穏やかではない幼少時代を過ごして来た彼女達は、さっぱりしたところも、誠実なところも、きっぱりしたところも、とても気が合っていた。弟に、いつか大切な相手が出来るなら。それがヒルダだったら。なかなか面白いかも知れない。
 恨みがましい視線を向けるティトレイを笑顔であしらい、セレーナはくるりと背を向けた。ペトナジャンカあげての新年会は、正月に三日間かけて行われる。この三日間ばかりは工場の火も止めて、皆でご馳走を食べ、酒を飲んで思いっきり息抜きをする。その三日が終わったら、ペトナジャンカの工場の、一年の始まりだ。
 出際に、セレーナが若草色の髪を揺らして振り返った。台所の出口の柱に手を掛けて、ケーキ作りに戻った弟の背中をじっと見つめる。
 あんなに小さかったのに。セレーナの後をちょこちょこ追ってきた、小さな弟。
 …もう、すっかり大人になっちゃったわね。
 大切な人が、出来るくらいになったのねぇ。
 なんだか嬉しいような、寂しいような。セレーナにとって、ティトレイは弟であると同時に、自分の手で育てた、子供であるとも言えるのかも知れなかった。ティトレイと同じ茶色の瞳に、一瞬様々な感慨が通り過ぎていく。頬に、穏やかな笑顔を浮かべると、セレーナは弟の背に声を投げた。
「ティトレイ」
「んー?」
「さっきの、嘘よ」
 訝しげに、ティトレイが振り返った。首の後ろで1つにくくられたくせっ毛が、ぴんと跳ねる。
「へ?」
「事務所の留守番。あれ、嘘よ」
 たちまち目を丸くして唖然とする弟に、セレーナは茶色の瞳を悪戯っぽく回した。
「今夜は、ゆっくりしてらっしゃいな。あたしは、工場の皆と徹夜で飲んでるから、気にしなくていいわよ」
 最後に1つ、満面の笑みを落とす。
 何か言おうと口を開きかけたティトレイを残し、するりと居間を抜けて、家の外に出る。冬の風が頬を撫で、背中を寒気が走る。すぐそこの広場では、もう新年会の準備が始まっているはずだった。
 寂しくない、と言ったら、嘘になる。
 それでも、弟が去る日はきっと、同時にとても嬉しい日になるだろうと思いを馳せ、セレーナは寒さに両腕を擦りながら、広場へと駆け出した。その顔に浮かぶ表情は、雲ひとつない今日の冬空と同じで、とても晴れやかだった。








 無事、ネタ降臨。リバースは書きたかったのですが、ギリギリまでネタが降臨せずにどうしようか悩みました。
 自分のプレイ日記見直してて、降って来ました。ティトがヒルダ姉さまに甘くないケーキを作る話は是非書きたかったので!
 セレーナさんとヒルダ姉さまは、きっと気が合うでしょうね。同い年だし、どことなく似てるところもあるし。ティトは両方が相手じゃ大変そうですけど(笑)
 あ、冒頭のレシピは本当半分嘘半分ですので、信用して作らないで下さいませ(笑)


 今年一年の感謝をめいっぱい込めまして。
 Merry Christmas!
2005.12.19