ハートダンス2
「あーあ、ボクもヴェイグ達と行けば良かったな」
ベッドの上に寝っ転がって、マオはぽつりと呟いた。
「何だ突然?」
呟くマオの向かい側、もう一つのベッドの上で、ティトレイは半ばうわの空で答えた。彼の視線と意識は、膝の上に広げられた本に釘付けになっている。背表紙を見ると、「バビログラードの郷土料理」とある。所々メモをとっているところを見ると、そのうち旅の食事に登場するのだろう。
ティトレイの生返事を気にするでもなく、マオはごろごろとベッドを転がり回る。
「うん、まぁ。別に大したことじゃないヨ…」
ぼすんと枕に顔を突っ込み、ずぶずぶとその中に沈み込んだ。ふんわりとした枕の中、目を閉じる。
どうしてこんなに胸が苛々するのか、自分でもわからなかった。
今まで自分の性格は明るく楽観的だと思っていたから、突然そうではない自分を考えるのは怖かったのかも知れない。
「どうして…」
枕の中から、呻くように微かな声がもれた。
昼間、買い出しから帰って来たヴェイグ達の様子が脳裏に蘇る。それはマオの心に、石を投げ込む光景だった。おかげで今は、心の中に波紋がいっぱいで考えも纏まらない。
マオが、枕とぐるぐる回る頭を抱えて、ベッドを転がっていると。ふと、彼の炎の頭はがっしりした大きな手に包まれた。
枕から顔を上げると、隣のベッドで本を読んでいたはずのティトレイが、人の良い顔に眉根を寄せてマオを見下ろしていた。
「どうかしたのか?何かすごいうなされてたぞ」
「えっ、ううん、大丈夫大丈夫!ちょっと考え事」
元気元気と飛び起きるマオを見ても、ティトレイは心配そうな表情を崩さなかった。
「そうか…?腹でも痛いんだったら、アニーに薬作って貰えよ」
さっきまで頭の中にいっぱいだった名前が、いきなり現実に現れてマオはどきっと胸を鳴らした。ティトレイにまったく変な気がなかったのは確かだろうが、マオは明らかに動揺した。
「う、うん。でも別にそんなんじゃないヨ…。…ボク、少し散歩して来る!」
すごい勢いでベッドから飛び下りると、マオは部屋を飛び出して行った。
荒っぽく閉じられた扉の音に目をしかめて、ティトレイはぼさぼさの頭を掻いた。
「…どう見ても怪しいぞ」
呟くその顔はひどく真剣だった。
「ああもうびっくりしたー」
一方、外に飛び出したマオはすぐそこの廊下に背をついてずるずると腰を下ろしていた。
「ティトレイってば時たますんごい鋭いんだもんな」
とにかく構ってくれるティトレイから逃げたくて飛び出して来てしまったが、散歩になど行く気にはなれなかった。バビログラードは高地だから朝晩は冷える。風呂から出たままのシャツ一枚の姿では確実に風邪をひいてしまう。
だが、どう考えても逃げ場が思い付かなかった。
(アニーがあんなにうきうきしているところ、久し振りに見たな…)
それが、帰って来たヴェイグ達を見て真っ先に思ったことだった。どうしてか聞こうとしたら、話そうとしたティトレイ諸共ヒルダにはたかれた。
ティトレイはヒルダの言いたいことに何となく気付いたようだが、マオにはさっぱりだった。それで、ヴェイグとユージーンが風呂に入りに行き、ティトレイと二人になった時を待って彼に尋ねてみたのだった。
『ああ、あれな。さっき道具屋の前の露店でさ…』
かくかくしかじか。ティトレイは、ヒルダとヴェイグが元気のないアニーを少しでも喜ばせてやろうと、プレゼントをしたことなどを語った。
『じゃあ、帰って来た時ヒルダが話を止めたのは、クレアさんの為…?』
『多分なー。クレアはそんなこと気にする奴じゃないと思うんだけどな。そう言ったらヒルダに怒られた。アンタが女心を語るなんて100万年早い、ってさ』
あっけらかんと笑うティトレイの様子は、もうマオの意識の中には入っていなかった。
『そっか…。だからか…。だからアニーはあんなに嬉しそうだったんだ…』
アニーはそれでいいのだろうか?
叶わないことは十分過ぎるぐらいわかってるのに。
それでも、たったそれだけの事で喜べるの?
「あーもう、ごちゃごちゃだよー…」
冷ややかな夜の帳が体の熱を奪い始めた。猫のように体を震わせて肩を抱く。だが、まだ部屋に戻る気にはなれなかった。
宿泊客は少ないらしい。マオが廊下に座り込んでいる間に通る人影はなかった。体の芯まですっかり冷えた頃、階下から階段を昇って来る足音が聞こえる。今更隠れたってどうにもならないが、とりあえず慌てて立ち上がる。
だが次の瞬間、マオはこんなところで座り込んでいた自分に、大いに後悔することになった。
階段からひょっこり登場した褐色の大きな瞳と、ばっちり目が合う。大汗をかくマオとは反対に、アニーは単純に驚いて瞬きをしていた。
「やだマオ、びっくりさせないでよ」
アニーは風呂あがりらしい。栗色の髪は濡れて癖を失い、真っ直ぐに垂れている。部屋着に着替えた全身からはほかほかと湯気が立ち昇っていた。
座り込んだままのマオの顔を覗き込み、心配そうに言う。
「どうかしたの?夜は冷えるし、風邪引くわよ」
「そんなこと…っ、ないよ」
慌ててマオは顔を背けた。
どうして、アニーはこんなに明るいのだろう。
晴れやかで生き生きとしたアニーを正視することが出来ない。
歯切れの良くない返事のマオの様子が、かなりおかしいとアニーは思ったらしい。マオの前に膝をついて、背けた顔を無理矢理覗く。
「やだ、本当に大丈夫?後で部屋に薬湯持って行ってあげるわね。それ飲めば気分が落ち着くと思うわ。そうだ、ユージーンも調子が良くないみたいだし、彼のもついでに持って行くわ。ちょっと待ってて」
マオの肩に手を乗せて、アニーが優しく言った。ふわりとアニーの気配が石鹸の香りと共に立ち上がる。咄嗟に、マオは手に引っ掛かったものを掴んだ。ズボンの裾を引っ張られて、アニーは訝しげに振り返る。
「マオ?」
「…ねぇ、アニー。本当にそれでいいの?」
マオと視線が合う。立っているアニーと、腰を下ろしているマオ。見慣れているはずのマオの顔は、ひどく遠いところにあって、小さく、光を失ったようだった。少年らしいくりくりした瞳の奥には、いつものような鮮やかな火ではなく、熾き火のようなちろちろした火が揺れているだけだった。
「…え?」
「どうしたって通じる訳ないじゃないか。それでもアニーはいいの?」
「マオ…っ!」
マオの言わんとしていることに気付き、アニーは声を荒げて足を振りほどいた。一瞬のうちに、その顔は蒼白になっていた。
「マオには関係ないでしょ!」
「だってヴェイグはクレアが好きなんだよ。あんなに必死になって助けに行くくらいに」
「止めて!」
足を鳴らし、アニーは叫んだ。怒りの為か、全身が小刻みに震える。きつく握った両の拳がぎりりとうなる。
見下ろしたマオの顔は、苛々とわずかに歪んでいた。眉間の皺も、笑顔のない口許も、まるで彼ではないようだった。
「…別にいいじゃない。あなたには関係ないわ」
「どうして、そんなことで喜べるのさ。
…まるで、まるで意味のない事じゃないか」
「いい加減にしてっ!」
マオの言葉の最後に覆い被さるようにアニーの怒号が響いた。
畳み掛けるように浴びせられる罵倒を覚悟するが、それ以上アニーの言葉が続かない。のろのろと顔を上げると、すぐさまアニーの瞳に掴まった。怒りに燃えているように強く輝いているのに、同時に涙に潤んでいる瞳。その時初めて、マオは自分の吐いた科白に後悔した。
ぴっちり引き締められた口が、ゆっくり開かれる。
「…マオが、そんなこと言うなんて思わなかった。…最低だわ」
…本当に最低だ。
心の中で、がっくりと頭を垂れる。でも、何も言葉にはならず、何も表情には出なかった。
アニーが、きっと顔を上げ、踵を返すのをただ呆然と見つめる。
遠ざかる足音を聞きながら瞳を閉じた。いつもは羽根のように軽い足音なのに、今はその響きが体の一番内側まで揺さぶるようだった。
ちょうどアニーがマオ達の部屋の前を通った時、たまたま出て来たティトレイとぶつかった。しかしアニーはぶつかったティトレイに一瞥もくれず、そのまま女三人の部屋に駆け込んで行ってしまった。
「…なんだ?どうかしたのか?」
アニーが駆け込んだ扉と、床に座り込むマオを交互に見交わしティトレイが情けない声で言った。壁に背をついて立ち上がり、マオは心配顔のティトレイの横をすり抜ける。
「マオ?」
「…ボク、先に寝る」
ティトレイとは決して顔を合わせないまま、マオはベッドに倒れるように潜り込んだ。頭もすっぽり隠れるくらいに布団を被り、重い空気に包まれて。
泣き出したいほどの気分だったが、必死でそれを飲み込む。
今泣いてしまうのは、アニーに対してとても失礼な気がした。
独りぼっちの闇の中、届きはしない独り言を胸に吐き出す。
…アニー、きっとキミは気付かないよ。
ボクが、アニーに嫉妬しているなんて。
引っ込み思案だったキミに、すぐ悩むキミに、追い抜かれたと思った。
それが悔しかった。
試練をこなして、自分の答えを見つけたキミが羨ましかった。
それに嫉妬した。
隣に並ぶキミを見て、嬉しそうに笑うユージーンを見て、自分がいらなくなったような気がした。
それが、寂しかった。
『…私は、ヒトは素晴らしい生き物だと思いますよ、マオ。だから、ヒトの中で楽しんで生きていらっしゃい。
貴方は何者か…。私の火を持つ貴方なら、きっと納得の行くものを見つけられるでしょう』
わからないよ、フェニア。
アニーもティトレイもヴェイグも答えを見つけたのに、ボクは何にもわからない。
…ボクはなに?
皆が大好きだったはずなのに。
強くなったアニーを羨んで、彼女を傷つけることで自尊心を満たし。
アニーを元気にしてあげられるヴェイグに嫉妬して。
こんなに、こんなに。
後悔しているのに。
謝りに行くことすら、恐くて出来ない。
そんな奴が、ボク…?
人間誰しも、心の中には醜い部分が必ずあると思います。
輝いてる人に憧れて、羨んで。そういう気持ちが表に出てしまうかどうかは別ですが。
マオだって思春期真っ只中ですし(笑)
カップリングとしてのマオアニではないつもりです。
そういう風に言い聞かせながら書いてた2話でした。
こんなのマオじゃないよ!というツッコミはどうぞ拍手にて(笑)
次回からはティトヒルがちらほらと…?
2005.1.15
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