自分の痛みなど構いはしない





『あなたは男の子なんだから。いつもみんなを守れるようになりなさい』
 弱きを助け、強きを挫く。
 そう教えられて育ったオレは、自分で言うのも何だけど、相当正義感の強い方だと思う。
 陰口とか、暴力とかの現場を見ると、ついつい頭に血が昇る。
 考えるよりも先に、正義感の塊みたいな、この体が動いてしまう。


 だから、最近まで気がつかなかった。
 無我夢中で体が動くことに、正義感以外のワケがあるなんて。



「マオ、準備はいい?」
「おっけーだよっ!疾風の爪にて引き裂かん!ガスティーネイル!」
「アクアストリーム!」
 マオとヒルダが同時に叫び、激しい魔力が迸った。風の爪が、逆巻く水が、地面をえぐり石畳を弾け飛ばせる。
 衝撃で、ミリッツァとワルトゥが吹き飛んだ。木の葉のように宙に舞い上げられた二人は、そのまま倒れて動かなくなる。
「よし、二人倒したぜ!」
 それを見て、軽くガッツポーズを決めるティトレイの頭上にきらめきが踊る。
 振り下ろされた白刃をボウガンで受け止めると、火花が視界を焼いた。ティトレイは青白い火花の向こうの、歪んだサレの顔と真正面から向き合う形になる。ほんのわずかのせめぎ合いが、何分にも感じられるくらい、お互いの体勢はぴくりとも動かない。
 均衡を破ったのは、調子っぱずれな口笛。
 サレの細い体に似合わぬ、重い一撃への驚嘆だったのだが、頭に血が昇っている彼には通ずる訳もなく。端正な顔が、瞬く間に怒りに染まった。
「貴様ら…、人をコケにしやがって…!絶対に許さん!」
「へっ、許さないのは…」
 かちり。ボウガンが微かな音を立て。
「こっちも同じだ!」
 怒号と同時に、ティトレイの左腕のボウガンが弾ける。矢はサレを外してあらぬ方向に飛んで行くが、その発射はサレの度肝を抜くには十分だった。それでも、彼は軍人としての理性が働き、ほんのわずかに仰け反っただけでその場に踏み止まる。だが、それは逆に、ティトレイにとっては好都合。レイピアの下がった正面に、大股で踏み込む。
 フォルスを纏った右の拳が、空気を切り裂いた。
 だが、サレもさるもの。
「ふざけるなよ!」
 切り返しの間に合わないレイピアの代わりに、嵐のフォルスがティトレイの拳を阻む。握り拳の先から、激しい風に押し返されて、ティトレイは思いっきり吹き飛ばされた。
 派手に宙を舞い、一回転をして着地する。足から下りることは出来たが、スピードを殺せずに、そのまま数メートル地面を滑る。
「大丈夫か」
 すかさず、倒れたティトレイの前に立ち、ヴェイグが大剣を構えた。淡く血の滲んだ口の端をぐいっと拭い、ティトレイは立ち上がる。
「ああ、すまねぇ。大丈夫だ」
「よし、それじゃもう一度行くぞ」
 叫ぶなり、ヴェイグが地を蹴る。血走った目を見開き、切っ先を持ち上げるサレに、正面から向かって行く。
 剣と剣が激突する手前、後衛からマオの魔力が放たれた。
「援護するよ、ヴェイグ!シャドウエッジ!」
 轟音と共に、再び戦闘が始まった。
 立ち上がろうとしたティトレイの体を、柔らかい光が包む。
「大丈夫ですか、ティトレイさん?」
 アニーが、息を切らせながら駆け寄ってくる。暖かい光の正体は、彼女の描く法陣だ。ティトレイは笑顔で頷くと、再び戦いに意識を戻した。
 サレと鍔迫り合いをするヴェイグ。その後方で、さらに詠唱するマオ。アニーは、自分の隣に居て、ユージーンは…。
 視線だけを瞬時に辺り一帯に巡らす。激しい戦闘でぼろぼろになった地面の向こうに、二つの大きな体躯が向かい合っているのが見えた。その瞬間、均衡しているかに見えた二人の力関係が、わずかに崩れる。流石のユージーンでも、トーマの剛力と正面から向かっては敵わない。それを見て、手助けしようと腰を浮かせた途端、フォルスと共に振りかぶられたトーマの剛腕を受けて、ユージーンは遥か後方に吹き飛ばされた。
「ユージーンっ!」
 かろうじて着地したものの、態勢を崩していては、すぐに起き上がれない。ユージーンを庇うべく飛び出したティトレイは、トーマがユージーンの方を見ていないことに気付いた。見上げるほどの巨体の首を、かなり下の方に曲げて、にやりと笑う。
 その残忍な笑みの先、彼の視線の先には。
 一瞬にして状況を理解すると同時に、体中の血が、一斉に引いた。
 ざあっ。そんな音が確かに聞こえた気がしたほど。
「くっそぉ…っ!!」
 全身をバネのように弾ませ、ティトレイは全力で身を翻した。






 あいつを倒すのは、私しかいない。
 そう、ずっと心に決めていた。



 あいつは裏切ったのだ。
 全ての孤独と猜疑心、たったそれだけを残して。
 捨てたのだ。
 使い捨ての駒みたいに、あっさりと。
 何の未練もなく。


 あれだけ多くのものを、奪っておきながら。


 ミリッツァを魔法で吹き飛ばした時は、さすがにチクリと胸が痛んだ。
 彼女と争う立場を選んだことに後悔はない。今の仲間達との旅はとても居心地がいいし、彼らといたからこそ見えたものがたくさんある。それでも、彼女は唯一の幼馴染であり、同族であり、姉妹だった。
 同じ場所に立って欲しいと願うのは図々しいかも知れない。でも、少なくとも、彼女には違う場所からの景色を見て欲しいと思う。
 ヒルダの眼前には、ユージーンの広い背中が映っている。一緒に旅をしていると、彼が大柄だとしみじみと思うことも多いが、こうしてトーマと切り結んでいるところを見ると、トーマは彼よりさらに一回りは大きい。身軽な体と鋭い爪の代わりに、その剛力はユージーン以上。
 その巨体を倒すのに、躊躇いなど、生まれるはずもなかった。
 ユージーンが食い止めてくれている今こそ、好機。
 詠唱の一音一音が、張り詰めた体に力を満たしていく。流れる黒髪が頬をなぶり、紅で染めた指先は、未来を映すカードを掲げている。先走った力が体に収まりきらずに、白い炎となって放電する。意識をさらに集中させ、最後に魔術として解放するために練り上げようとした瞬間。
 トーマと、がっちり刃を交わしていたユージーンが、力でわずかに競り負けた。
「っ、くっ…!」
 ユージーンの体がわずかに傾き、跳ね飛ばされた。かろうじて右手から着地したものの、バランスを崩して膝をつく。
「がはははっ!さしもの貴様といえども、この俺様に力では敵うまいッ!」
 筋肉の盛り上がった右腕を天高く突き上げ、トーマは咆哮を上げた。勝ち誇った表情でユージーンを見下ろすその目には、屈折した不満からの解放の光が、爛々と輝いていた。そして次に、ユージーンの背の向こうに隠れていた、華奢な人影に目を留める。
「ほほぅ、ヒルダ…。角を折ったハーフの分際で、この俺様に歯向かうとは百万年早いわッ!」
 ユージーンが吹き飛ばされたのを視界の端で捉えた時、ヒルダはわずかに唇を噛んだ。詠唱はまだ終わっていないのだ。あと、ほんの少し。
 地面を揺らしながら歩み寄ってくる、トーマの足音がどすんどすんと腹に響く。まずいとはわかっていても、彼女は逃げようとはしなかった。どうせ逃げても、この体格差だ。すぐに追いつかれる。それだったら、一秒でも早くトーマに魔術をぶつけた方が確実だ。焦りそうになる舌を押さえ込み、がむしゃらに詠唱を続ける。
 それでも。
 一歩一歩、トーマの巨体が迫ってくる。さしものヒルダも、踏み止まるよりは逃げた方が安全なのではと思った瞬間。
 物凄いスピードの影が、トーマの左側面に飛び込んだ。
「何ッ!?」
 頭に衝撃を受けたトーマが、ぐらりと上半身を傾げる。
「え…っ?」
「余所見すんな、ヒルダっ!」
 思いもよらない展開にぽかんと瞳を見開いたヒルダに、鋭い喝が入った。
「いいから続けろ!」
 言わずと知れた声の主は、トーマの左頬にお見舞いしたキックの勢いもそのままに、巨体のせいで思ったよりも吹っ飛ばないトーマの角に、敢えて飛びつく。身体をねじり、瞬きの間に懐に入ったら、あとはもう一撃。
 浅く一呼吸すると、眼前の無防備な腹に、渾身の一発を打ちつけた。
「緋桜轟衝牙っ!」
 合わせた掌の真ん中から、高められたフォルスが放たれた。眩いほどのフォルスの光がトーマの目を焼き、怯んだ刹那、ガジュマの巨体がわずかに浮いて吹き飛んだ。
「…、良し!行くわよ、退いてなさい、ティトレイ!」
 ずざざざ、と地面を滑って転がるトーマから、ティトレイは身軽に離れる。一秒さえも間をおかず、ヒルダは両手を突き出した。降らすのは、全てを灰に帰す裁きの雷。
「ディバインセイバー!」
 天を切り裂く轟音と共に、幾本もの雷が地に落ちた。よろめく程の突風が中心から爆発し、衣の裾をはためかす。肌がぴりぴりと痺れる。
「ヒルダさん、凄い…っ!」
 飛んでくる小石から顔を庇いつつ、アニーが驚きの声を上げた。ヒルダの操る魔術の威力は普段から知っていたものの、まさかこれほどまでの力を持っているとは思わなかった。叫ぶ自分の声も聞き取りづらいくらいだ。



 縦横無尽に雷を落とすと、神の怒りは拍子抜けするほどあっさりと鎮まった。後には、もうもうと立ち込める蒸気と土煙だけが残る。倒れ伏したトーマに起き上がる気配がないのを確認し、素早くヒルダの傍に戻ったティトレイは、とにもかくにも真っ先にヒルダの肩を掴んだ。
「怪我っ、どこも怪我してねぇなっ!?」
 援護ありがとう、と言いかけたヒルダの口がぽかんと開く。埃を払おうとしていた手が、腿の上でぴたりと止まった。あまりにも必死なティトレイの表情に、口まで昇っていた台詞も引っ込んでしまう。
「どうしたのよ?そんなに慌てて…」
「いいから、怪我はっ!?」
「し、してないわよ」
 ほんの二十センチの距離にある、焦げ茶色の瞳のあまりの真剣さにヒルダはただただ押されるばかり。黒檀の瞳を瞬かせて、とにかくそう答えると。
 ティトレイは心底ほっとした表情を浮かべると、ヒルダの肩に置いていた手に力を込めた。
「良かった…」
「…ティトレイ?」



 あの瞬間、まるで全身が感覚になってしまったような気がした。
 足の裏から、恐怖が一気に全身を駆け巡って。
 もしも間に合わなくて、ヒルダが傷ついたら。
 万が一、本当に万が一だけど、命を落としたりなんてしていたら。
 そんなことが閃いただけで、もう、何にも考えられなくなっていた。
 ただがむしゃらに、身体が動いていた。



「アンタこそどうかしたの?」
 心配そうに覗き込んでくるヒルダの顔を見つめ返し、ティトレイは今になって彼女の顔があまりにも近い位置にあることに気がついた。長い睫毛の形まで、くっきり判別出来るくらいの距離。アイシャドーの下の睫毛は、黒檀の瞳に深い影を落とす。その瞳の、しっとりとした輝きの中には、まるでアホみたいに口を開けた、自分の姿が映っていた。
 そこで初めて、吐息もかかるような距離に、ヒルダが立っていることに気がついた。しかも、彼女の肩を引き止めているのは自分の手。
 一瞬で思考が爆発し、息を飲んだ。
「っ、何でもない…っ!」
「? 何よ、血相変えてたくせして」
 慌てて身を離し、顔を背けるティトレイの行動の意味が、ヒルダにはまったくわからない。訝しげに首を傾け、緑のぼさぼさ頭の間から見える真っ赤な横顔に、笑いながら口を開こうとした瞬間、ふと彼の足元に滴るものに気がついた。
「!アンタ、怪我してるじゃない」
 たちまち駆け寄ると、ヒルダはティトレイの左腕を掴む。トーマと、近距離でやりあった時にでも、軽く破られたのだろう。腕の中ほどから裂傷が開き、ぱっと見た限りかなりの出血がある。ヒルダは顔色を変えると、怪我をしたティトレイの左腕に気を使って右腕を掴み直し、ぐいっと引っ張った。
「早くアニーに診てもらわなくちゃ」
「いいって!まだ戦闘も終わってないしっ!」
 ヒルダの細い指を引き剥がし、ティトレイは戦いに戻ろうと踵を返す。トーマは倒したが、サレはまだヴェイグとマオが対峙している筈だ。加勢に行かなくては、とティトレイは焦る。正確には、急にヒルダの正面にいるのが恥ずかしくなってしまったからだったりするが、まさか本人の前でそんな事言うわけにはいかない。
「馬鹿ね。もうとっくに終わってるわよ、向こうだって」
 指を振り払われたのを怒って、腰に手をあてて言うヒルダの向こう。確かにヴェイグが剣を納め、アニーに回復してもらっている。
 それを見たら、急に気が抜けた。
「ほら、あんたも」
「…あ、うん」
 ぐいっと引くヒルダの指に、右腕を預ける。
 ずんずんと突き進む細い背が、低い声で言った。
「…どうして、そんな無茶するのよ」
 ヒルダのこういう声を聞くときは、何故だか知らないが怒っている時だ。ひとまず、口答えをして機嫌を逆撫でするより、のらりくらりとかわす方を選ぶ。
「イヤ。俺って正義感溢れる好青年だからさ。ついつい身体が動いちまって」
 そんなティトレイの返事にも、ヒルダの言葉は柔らかくならない。珍しく心配してやっているのに、締まりなく、にへらとしている横顔をひっぱたいてやりたくなった。
「それでこんな怪我してたら意味ないでしょ」
「意味なくなんてないぞ。オレはちゃんと…!」
「…ちゃんと?」
 思わず口をついて出そうになった言葉を、どうにか飲み込む。きょとんと横目で見るヒルダの疑惑の眼差しを、曖昧な笑顔で弾き飛ばした。
「な、何でもないぜ!」
「…?」
 言えるはずもない。
 ちゃんと、守れただろ、なんて。
 そんな歯の浮くような台詞。


 誤魔化した口調がバレバレのティトレイを苦笑で見つめ返し、ヒルダは掴んだティトレイの右腕にほんのちょっぴり力を込めた。
「ま、いいけど。…あと、一応言っとくわ。お礼」
 届くか、届かないか。ぎりぎりの、ほんの小さな声でヒルダが呟く。その言葉の意味を掴みかねて、ティトレイが尋ねようとすると。一瞬先をヒルダに取られた。
「…アイツに、止めを刺させてくれてありがとう。これで、ようやく肩の荷が下りた気がするわ」
 肩の荷。両親の仇。
 そして、彼女自身の仇。
 確かにそれは果たさせてやりたかったけれど。実際に自分を掻き立てたのは、恐怖だ。彼女を失うかもしれないと言う、あまりにも強烈過ぎる恐怖。
 それでも、隣で笑うヒルダの表情は晴れやかで。目も覚めるくらいに輝いた、憑き物の落ちたような顔をしている。それを見ていると、何だかティトレイもほんのり心が滲んできた。
「本当に、今は感謝してるわ」
 照れを隠すようにさばさばと言ったヒルダに、ティトレイは口を尖らせて笑う。
「今だけかよ?」
「今だけよ」
 くす、と笑うヒルダがティトレイの右腕を引き寄せ、ぽんっと背中を押した。ヴェイグの怪我の手当てをしているアニーの方へ。
「私、荷物取って来るわ」
 戦闘直後に放り投げられたままの荷物を拾いに駆け出すヒルダの背を、眩しそうに見送る。その背は、もう孤独に震えていた、昔の彼女ではない。長い黒髪を揺らし、白い衣の裾を翻して走る姿は、本当に軽やかで。
 ティトレイはふんわりと瞳をすがめた。




 血の流れる腕は痛むけれど。
 この痛みの分だけ君が笑うなら。
 真っ先に、駆け寄って。


 地の底からでも、君を救い出そう。



 自分の痛みなど、構いはしない。












 二万打御礼企画お題、9番です。
 先日のゼロリフィと、シチュエーション的には大差ないということに、書き終わってから気付きましたが、後の祭りです。
 気にしません(笑)
 トドメは秘奥義にしようかとも思ったのですが、秘奥義は以前書きましたし。公式小説のトドメも、二人の秘奥義でしたよね。確か。
 と思ったので止めました。個人的に、緋桜轟衝牙は大好きな奥義の一つですv
 ティトの奥義にしては格好良くありませんか?(笑)

 戦闘シーンを書くのは、大好きなんですよーvv
 物凄くうきうきしてました(笑)特に、サレ様のあたりは。


 二万打の御礼をめいっぱい込めましてv
 ありがとうございました!
2005.6.14