ハートダンス1





 叶わなくてもいいんです。
 届かない方がいいんです。
 でも、想うだけは。
 それだけは自由ですよね?


「ねぇ、見て、ヒルダさん!これ、可愛いですよ」
 はしゃいだアニーの声がヒルダを呼んだ。道具屋の看板の前で、むっつり腕を組んでいたヒルダが、暗い顔をわずかに上げた。
 見ると、道具屋の前の露店を眺めていたアニーがにこにこ笑いながらヒルダを手招きしている。隣にヒルダが立つと、その腕を無邪気に引っ張って、アニーは露店に並んだアクセサリーを指差した。
「ね、これ。きっとヒルダさんに似合いますよ」
 アニーの指の先には、シルバーと小さな宝石をあしらった、凝った花の形のピアスが並んでいる。色も様々にあり、ついつい目移りしてしまう。
「ヒルダさんならこの青いのか、紫の…。白とか黒でもいいんじゃないですか?」
 弾んだ声で勧めてくれるアニーの様子に、ヒルダは口元に手袋をはめた手を当て、くすりと笑った。
「確かに可愛いけど。それは私よりあんたに似合うわね。その、ローズピンクのとか」
「そ、そうですか?」
 似合うと言ってもらえただけで嬉しくて、顔がぱあっと輝く。
「ええ。あんたには明るい色が似合うから、このオレンジのもいいかもよ」
 嬉々とするアニーにつられて、ヒルダの顔にも微笑みが溢れた。


 良かった、少しは元気になったみたい。
 他にもアニーに似合うもの、と商品に目を走らせているヒルダを見て、アニーは胸を撫で下ろした。
 次の試練はヒルダだとシャオルーンが告げてから、彼女は明らかに考え込んでいることが多くなった。元々、そこまで社交的ではない性格なのに加えて、刺激の少ない旅の途中では、更に考え込んでしまうようだった。アニーとしては、その辛さを話して欲しかった。だが、ヒルダはそれを素直に話してくれる人ではない。話せば心が軽くなる、そんな風に彼女は思いはしないだろうから。
 だったらせめて。少しでも気を紛らわしてやるのがいいんじゃないか。
 そう、ティトレイが言っていたのを思い出した。


(これ、ヒルダさんに似合うかも…)
 ふと、目の端に止まったピアスに手を伸ばした時、道具屋から待ち人が姿を現した。
 それは、一見仲が悪いように見える二人組だった。喋っているのは主に一方で、もう一方は無表情で時折相槌を打つだけ。だがそれが、この二人のいつもの会話なのである。
 二人は扉を出たところで辺りをぐるりと見回し、アニーとヒルダの姿を見つけると、足早に寄ってきた。
「すまない。待たせたな」
「悪リィ、悪リィ。時間掛かっちまったか?」
 紙袋を両手に持った、ヴェイグとティトレイが口々に謝る。ティトレイの笑顔はいつものものだから何とも思わなかったが、ヴェイグが浮かべていた微笑に、ついどきどきしてしまう。その動悸に気付かれないよう、咄嗟にティトレイの顔を隠すほどの大きな紙袋に手を伸ばした。
「あ、あの。袋持ちますよ」
 だが、その手を真面目な表情のヴェイグが押し止めた。
「いい…。どうせ、自分で消費したライフボトルなんだからな」
「ひっでーな。俺だけじゃないだろ!」
「主にお前だろう」
「ほっとけ」
 意外に厳しいヴェイグのツッコミにティトレイがしどろもどろになっている中、アニーは一瞬ヴェイグの指が触れた腕が気になって仕方がなかった。
 ヴェイグに言い負かされて、反論出来なくなったティトレイは、拗ねてふいっとそっぽを向いた。その視線の先に、見慣れた後ろ姿を見つける。ターバンをぐるぐると巻いた豊かな黒髪が、女性にしては背の高い背中に流れている。その特徴的な背中は、それだけで誰だかすぐにわかる。
「ヒルダ?何してんだ?」
 ライフボトルの瓶をがちゃがちゃ言わせながら、ティトレイはヒルダの手元を覗き込む。
「ピアス。新しいの買おうと思って。私のと…」
 両手にそれぞれ一つずつピアスを持って、ヒルダはアニーに聞こえないように声を下げた。
「アニーのとね」
「そっか。喜ぶな、アニー」
「…そうかしら。だといいけど」
 ぱっと笑って言うティトレイの顔を、まともに至近距離で見てしまい、ヒルダは思わず後ずさって距離をとった。顔が火照るのを自覚してしまうと、余計に恥ずかしい。瞬間、あまりにも露骨だったかと後悔する。しかしティトレイはまったく気にしない様子で、ヒルダの手の上のピアスを見比べていた。
 その様子に、内心こっそりと溜め息をつく。この男は、このように都合の悪い事に気付かないのは良い所ではあるのだが、それと同じくらい気付いて欲しい所にも気付かない鈍感なのだった。
「ヒルダのはどっちだ?」
「私のはこっちよ」
 右手に乗った、小さな蝶の形のガーネットとシルバーのピアスと、左手のベリルの結晶のピアス。ヒルダは左手の方を軽く持ち上げた。
 それじゃ、と言ってティトレイは紙袋の下から手を出し、それをつまみ上げる。
「これは俺が」
「あら、いいの?」
 いかにも意外そうに両目を瞬かせて、ヒルダが驚いた声を上げた。ティトレイがそんなことに気を回すとは珍しい。嬉しさよりも驚きが強かった。
「アンタがそんなこと言い出すなんて、槍が降るわね」
「…いらないんならいいぜ」
「冗談よ。もらえるものを断ったりしないわよ」
 一瞬で、地面にめり込むほどに落ち込んだティトレイを横目で見て、ヒルダは存外優しい声で返した。凛とした顔の中の、黒檀の瞳が穏やかに微笑する。
「じゃあ、アニーのはもっと奮発しちゃおうかしら」
 言って、ヒルダはくすくすと笑い声をもらした。そして再び、アニーのためのアクセサリーを物色し始める。だが、ふわりと身を翻す瞬間、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いていた。
「…ティトレイ。…ありがと」


 そんな一部始終を横で見ていたアニーは、つい溜め息を零していた。
(いいなぁ、ティトレイさんは…)
 ちらりと盗み見る彼の横顔は、うきうきとほころんでいる。
(ティトレイさんの場合、そういう意味でヒルダさんの事が好きなのかどうかは、いまいちわからないけど)
 思いやりのある彼のこと。落ち込んでいるヒルダを慰めようとしているのだとも十分考えられるし、おそらく今はそのつもりなのだろう。だが、もし本気だとしてもヒルダもきっとまんざらではないだろう。
 あの好き嫌いのきっぱりしているヒルダのことだ。興味のない相手に優しくされても、きっと喜びはしまい。ティトレイに優しい反応を返す。それだけで彼女の答えになっている気がした。
(好きな人に好きだと思ってもらえて…)
 好きな相手が応えてくれる。それが一番嬉しい事だと思うのは、彼女の今の気持ち故だろう。だから、同じように想ってくれることではなくても、何か気持ちが返って来る、アニーにはそれだけで十分に思えた。
(気持ちが帰ってこないのは百も承知。憧れるだけで十分なんだから)
 絶対に叶わないことがわかっているから。道は、それで満足するか、さっさと忘れるか、どっちかしかない。
 だが。一際大きな溜め息が、知らず知らず零れた。


「…アニーは?」
 考え込むアニーの思考を、低い穏やかな声が破った。名前を呼ばれた理由がわからなくて、心臓が跳ね上がる。
「ヴェ、ヴェイグさん?」
 すぐ隣りに立った背の高い青年は、アニーの顔と陳列されたアクセサリーを交互に見ながらそう言っていた。
「ヒルダだけじゃ不公平だろう。アニーも何か欲しいものはないのか?」
「えっ、でも悪いですよ…」
 栗色の髪にすっかり顔を隠すほど俯いて、アニーは答えた。熱い頬で、自分がいかに赤い顔をしているのかわかる。
「たまにはいいだろう」
 柔らかい声に恐る恐る顔を上げると、息も届きそうな距離に、陽の光に透ける銀髪が揺れていた。
「どれがいい?」
 銀糸のような髪の奥の、蒼い瞳が微笑む。
 心地良い声に促されるようにして目を細め、アニーは明るく答えた。
「じゃあ、これでいいですか…」


 わかってる。
 あの人は私を、妹みたいに思ってるって。
 でも、それで十分じゃない?
 叶わないのは確実なんだから、ほんの少し夢を見てもいいじゃない?


「ヴェイグさん、ありがとうございます」
「いや…」
 アニーが微笑んでお礼を言うと、ヴェイグはわずかにはにかんで答えた。
「ヒルダだけじゃなくて、アニーも近頃元気がないようだったから…。皆心配していた。これで、少しでも気分が晴れたなら良かった」
 両手で抱いた包みをぎゅっと握り締め、アニーは心からの笑顔を浮かべた。栗色の髪が、仕草と同時にひょこりと揺れる。
「ご心配をお掛けしました。私はもう大丈夫です♪」
「そうか…」
 ほっとしたヴェイグの顔を見上げると、胸にほんの小さな痛みが走った。それは、いかに自分が妹として見られているか示しているようなものだったから。
 でも、それでも構わなかった。


 胸の痛みは、身を切り裂きはしない。
 ただ、鈍く微かに疼くだけ。
 いつかはきっと感じなくなる痛みだから、今はそれさえ愛していよう。
 この想いの記憶のために。











 早速続いてたりします(笑)
 ティトヒルかと見せかけて、実はアニー→ヴェイグ。
 節操ないのがバレバレ…っ(汗)
 最終的に、「怪しい関係」のスキットに繋がります♪
 やー、アニー可愛いですね。乙女過ぎてすみません…。
2005.1.9