セイリオス





 私は、何も怖くないわ。





 遠く響いて来る叫喚と怒号を聞きながら、ステラは心の中で呟いた。むっと鼻につく、煙と、血と、肉の焼ける臭い。かなりきついその臭いが涙腺を刺激して、ステラはそれを堪えるのに、強く唇を噛んだ。
 哀しくはない。辛くもない。けれど、今涙が出たら、それこそ涙腺が壊れたみたいに泣き止むことが出来ない気がして、涙を零したくはなかった。





 そう、だって、考えても見て?





 周りには人の姿はない。
 集落中の戦える男は、みんな里の入り口に向かって、兵士達の侵入を防いでいるはずだ。集落中の女はみんな、水の民の将来を担う自らの子供達を逃がすべく奔走しているはずだ。
 悲鳴と泣き叫ぶ声に耳を傾け、ステラはそっと双眸を閉じた。肩の下までの金髪が、焦げた風に揺らされる。





 あの子の代わりに、私が生き残ってどうするの?





 胸の中の虚しい自問自答に、苦笑する。
 そんなことを思ったと知ったら、あの子は勿論、彼もきっと激怒するだろう。あの子は、彼と同じくらい、いやそれ以上に自分を慕っていて、彼はあの子と同じくらい、いやそれ以上に自分を好きでいてくれていると、彼女は知っていたから。





 だってあの子はメルネスで、みんなの希望で、彼の妹代わりで、そして。





 顔を上げて、瞳を開く。青い、海の色の瞳は、いつもの彼女と同じだった。柔らかくて、穏やかで、どこか茶目っ気もあって。悪戯っぽさがきらりと覗く。
 ほんの少し、地獄のような戦いの声が近付いている気がした。






 あたしの、妹なんだから。










 ざ、と足音が、背後から聞こえてステラは何気なく振り返った。が、駆け寄って来る姿を認めると、その表情が瞬時に固まった。集落の奥、逃げ道がある方から姿を現したのは、見覚えのある少年だった。
「ステラ!」
 必死の形相で、息を荒くして、駆け寄ってくる少年。途端に、彼女の決意がぐらりと揺れた。いけない。これでは心を強くしていられない。
「セネル!来ちゃ駄目!」
 怒鳴られた驚きで、セネルの足が止まった。二人の間の距離はそう、5、6メートルといったところか。セネルの顔一杯に驚きの表情が広がるのを見て、ステラは思わず苦笑した。笑った顔も困った顔も、すべて。目に焼き付けておかなくちゃ。
「シャーリィは?」
「裏の森の、安全なところに隠して来た。あそこなら、絶対に見つからない。シャーリィは大丈夫だから。だから、ステラも逃げよう?」
「そう…。…ありがとう、セネル」
 一歩踏み出したセネルを、ステラは首を横に振ることで遮る。彼女はもう決めていた。ここを、一歩も動くつもりはないことを。目を真っ直ぐ上げて、少し遠くにあるセネルの顔をしっかりと見つめ、ふわりと笑う。
「わたしのことは気にしないで。あなたも逃げて。絶対、シャーリィを守ってあげて」
「それは当たり前だ!でも、ステラもいないと意味がない!シャーリィには、ステラがいないと!だから、3人で逃げよう?」
 泣きそうな顔をしながら言いすがるセネルが、悔しそうに地面を蹴った。セネルが何を言おうと、ステラの笑顔は崩れない。こんな時に、こんな状態で、それでも笑っているなんてずるいと。そう明らかに書いてあるセネルの表情を見て、ステラはひそかに手のひらに爪を立てた。
「ねぇセネル。お願い。シャーリィを連れて逃げて。あの子を、守ってあげて」
「ステラ!」
 彼女の名を、セネルが絶叫する。
 やめてお願い。そんな風に呼ばないで。こんなに我慢してる涙が、今零れてしまったら、何もかも台無しだもの。
 確実に近付いて来ている戦いの音に負けないように、ステラはさらに大声を上げた。
「セネル!」
「でも…!」
「お願い…」
 こんな声出したくないのに、自然と懇願するような口調になってしまう。浮かべた笑顔が、涙で歪みかけたその時、彼女の背後で、轟音が響いた。
 土混じりの爆風が、ステラの背中にぱちぱち当たる。その土煙の中に、ゆらりといくつかの影が揺れたのを見て、彼女は今度こそ覚悟を決めた。












 道の向こうに、この2年間ですっかり見慣れた背が見える。
 つんつん跳ねる銀色の髪。少年らしい、しなやかな手足。身軽な動き。
 彼が何者かなんて、そんなこと、なんの問題でもなかった。
 爆風の中から現れた数人の兵士が、薄笑いを浮かべながら近付いてくる。屈強な男ならともかく、年端もいかない少女であるステラに何か出来るなどとは、考えてもいないに違いない。
 ちらりと兵士達に視線を向けたステラは、その姿を確かめると、もう一度セネルの後姿に目を戻した。
 家族のいないセネルにとって、ステラとシャーリィの姉妹が心の支えであったように、ステラにとっても、心の支えは、セネルとシャーリィの二人だった。





 唯一血を分けた姉妹のシャーリィ。
 ずっとずっとステラが守ってきて、傍にいて、大切にしてきた妹。
 一緒に逃げよう。セネルの言葉は、何より嬉しかった。それを、すべてに出来たら、ある意味自分は幸せだったかも知れない。
 けれど、それは無理な話だった。ステラにとってシャーリィは、セネルと比べても、手放すことなど出来ないものだったから。






 あの子が幸せに生きるためなら、あたしはなんだってすることが出来るわ。
 引っ込み思案で、気が弱くて、泣き虫なシャーリィ。
 あたしの、大事な大事な妹。
 あたしがいないとあの子が生きていけなかったように、あの子がいなければあたしは生きていけなかった。






 だからね。
 後ろ髪を引かれる思いを振り払って、銀髪の少年の後姿から視線をはがす。
 海色の瞳で見据えるのは、彼女達の穏やかな日常を破壊した、真紅の兵士達。
 剣を構えながら、余裕たっぷりで彼女に近寄ってくる。ぎらぎらと冷たく輝く彼女の瞳は、生まれて始めての激しい怒りで青い炎を上げているようだった。すっと、両腕を開く。どこからともなく彼女の力の源が、山吹色の光となって滲み出る。指に頬に髪に。山吹色の光が絡みつく。
 驚愕の表情を浮かべる兵士たちの顔が、猛烈な光に飲み込まれて真っ白になった。
 そうして、ステラにはもう、何も見えなくなった。










 シャーリィ。
 大好きよ。ずっとずっと。あなたは、あたしの全てだった。
 お姉ちゃんは、あなたが幸せに辿り着けるように、ずっとずっと導いていくから。





 セネル。
 …大好き。
 最後まで言えなくてごめんね。弱い私でごめんね。
 あたしの本当の気持ちは、あたし自身のために、最後まで自分で持っていたかったから。
 あなたをずっとずっと、辛い顔にさせるのは耐えられないから。










 焦げた地面に腰を落とし、少女は一筋涙を流した。ずっとずっと、堪えていた涙を。
 そして、震える唇で、ずっとずっと言わなかった言葉を呟く。彼に届けるためにではなく、この、煙と血と焦げた臭いの風に聞かせるために。
「…セネル…、ずっとずっと、大好きよ…」





 もう、彼の姿の見えなくなった道の先をじっと見つめながら、背後に数多の足音が轟いても、彼女は決して振り返ることはなかった。












 書き始めてからアップまで、かれこれ4時間強という私にしてはとんでもなく早いお話です。
 レジェコミックスを読んで、セネシャリに悶え、クロシャリに叫び、単品シャーリィも単品クロエもモーすけもチャバもギーとんも、みんな良かったのに真っ先に思いついた話はコレ(苦笑)特に本誌の方の回で、幼少ステ→シャリが素敵な感じだったせいでしょうか。というか、私の理想どおりだったのでもう止まりませんでした(笑)

 セネ→ステは、セネルが吹っ切れるまで続くと思うのですが、ステ→セネはステラが残ってセネルとシャーリィを逃がした時点で、彼女自らの感情で終わらせたのかなと思うわけですよ。
 そういうところが彼女らしいなとも思う訳で。
 それに、実際ステラが生き残ってて、まだ三人一緒にいるとしたら、結局セネステにもセネシャリにもならないと思うんですよね。ステラはシャーリィのために、自分の感情を出さない。それをわかってるからシャーリィも自分の感情は出さない。とかなんとかやってるうちに、二人とも違う人を選ぶのかもな、と妄想したりもしました(笑)
 そんなこんなでセネステです。切ない話でゴメンね、ステラ。次は幸せセネシャリステにするから!
2006.6.10