雨の日に恋をした





焚き火に照らされた横顔の明るさに、騎士は軽く溜め息をついた。




「あーあ、どうしちゃったの、クー?溜め息なんてついちゃって」
 突然掛けられた緊張感のない声に、物思いを破られた騎士はびくっと肩を跳ね上がらせた。出したばかりの溜め息が引っ込む。
「ノーマ!」
 声が大きい、と鋭い声で仲間の少女を叱りつけ、くるりと身をよじって軽く睨む。だが、底抜けに明るく、我が道を突き進むのが信条のトレジャーハンターは、クロエのそんな顔に怯むようなタマではない。両の手を腰に当て、クロエの顔にぐいっと近寄る。
「セネセネのこと、助けてあげたんでしょ?これは更に近付けるチャンスよっ!ラブアタック大作戦Part2、決行だわね!」
「ノーマッ!」
 力一杯叫ぶノーマの声があんまり大きいもので、クロエは慌ててノーマの口を塞いだ。ノーマの向こうの焚き火の傍にちらりと視線を巡らせると、セネルにウィル、モーゼスにジェイ、それにモフモフ族の三兄弟も、何やらとても盛り上がっているらしく、さっきと変わらない様子で騒いでいる。
 ほっ、と胸を撫で下ろすと、横から細い純白の指が伸びて来てクロエの右手に触れた。
「あらぁ、クロエちゃん。ノーマちゃんが泡を吹いてるわよぉ」
 どんな緊張もたちどころにぶち壊してしまう呑気な声に、クロエはぎょっとして右手を離した。騎士であるため、並みの女性よりはよっぽど力のあるクロエに容赦無く口を塞がれたノーマが、青い顔で泡を吹いている。
 クロエは、慌てて謝った。
「すっ、すまない、ノーマ!」
「はぁ…はぁ…、助かったぁ。ありがとグー姉さん」
「良かったわぁ」
 息も絶え絶えに、ノーマが親指を立てた。いつでもおちゃらけている少女だが、その真意は場を和ませ、クロエの身を案じているのだと、今では知っている。年下の少女の、無言の気遣いがありがたくも、心苦しくもある。
 そんなことを考え、こっそり忍び笑いを漏らすと、ノーマが不意に低い声になって尋ねてきた。
「…セネセネに、なんて言ったのよ?」
 クロエの微笑の裏に滲む苦さに、気付かないノーマではなかった。不意に真面目な顔になって見下ろしてきたノーマの鳶色の瞳が、ひたとクロエの漆黒の瞳を見つめる。
 何を言われたのか、ではなく、何を言ったのか、と。どうして彼女は気付いたのだろう。
「まったく…。お前には敵わないな」
 心の底からそう思って苦笑して、瞳を細めると。ノーマとグリューネは顔を見合わせてにっこりと笑い合った。そして、クロエの両側にちゃっかりと座り込む。
「クロエちゃんの寂しい顔は辛いものねぇ」
「そーゆーこと。黙ってるなんて、水臭いわよ〜。詳しく話してもらおっか?」
 にっっっこり。両側からの眩しい笑顔攻撃に、クロエが敵うはずもない。
(…絶対、楽しがってるな)
 きらきら輝くノーマの笑顔に呆れつつも。波打ち際に座ったクロエは、隣の二人に一部始終を話す羽目になったのだった。





 さらさらさら。
 白い砂が白い指の間を零れ落ちる。日が落ちた海は真っ黒で、一寸先も、一里先も、まったく変わらぬ闇の中。不用意に踏み込もうものなら、いともあっさり飲み込まれてしまうだろうということは明白の底なしの恐怖を感じさせるものだ。
 だが今は、この海に対して、それほどの恐怖は感じない。それぞれの身に宿る滄我の力が、暖かくて心地良いからだろう。
「…セネセネにとって、リッちゃんがたったそれだけの存在の訳があるか、か」
 俯くクロエがノーマを見上げる視線と、横目でノーマがクロエを見下ろす視線が交じり合う。
 縋る色をほんの少し宿した目の色に、ノーマは肩をすくめて能天気に率直な感想を漏らした。
「ずいぶんな啖呵きっちゃったねぇ」
「…他にどんな言い方があるというんだ」
 相手は、あのクーリッジだぞ。クロエは、口を尖らせて呟いた。



 クロエの右側では、クロエの話を聞いているのかいないのか、グリューネが白い掌の中から細かい砂を零している。さらさらと、砂の上に降り積もる優しい音。
 白い砂を零すグリューネの指は、細くて白くて、とても長くて。少しだけ一緒に行動したシャーリィの、華奢な体つきを思い出した。
 顔を上げることが出来なくて俯いた額に、がっしりした指で触れた。幼い頃からの剣の稽古で、剣だこが出来、引き締まった指。剣を握り続け、今も振るい続ける指。もし、この手がシャーリィのように、折れそうにか弱かったら。何か変わっていただろうか。
 そこまで思い至って、クロエはふと我に帰った。右に、左に。ゆっくりと頭を振る。一回一回で、迷いを振り払うように。
 何も、変わりはしない。そして、そんな自分など存在するはずもない。



 一瞬でも、そんなことを考えてしまったことに、苦い笑いが漏れる。
 もしも、自分が自分でなかったら。自分が、あの場所に立てたなら。そう考えるのは、あまりにも容易なことだ。
 だからこそ、シャーリィの気持ちもわかったのだけれども。
「そりゃあそうだよねぇ。何しろ相手は、あのセネセネだもん」
 あの、鈍感太郎。頬杖を付いたノーマが、暗い海の向こうに明るい笑いを投げた。ノーマの反対側では、グリューネがくすくす笑みを振り撒きながら、相変わらずマイペースに白い両手から砂を零している。
「誰がどう見たって、リッちゃんのことが大好きだってわかるのに」
「自覚が無いのは本人ばかりということだ」
「まぁ、セネセネらしいっちゃらしいかな?」
「そうとも言うのか?一瞬私はなんでこんないくじなしが好きだったのかと疑問を持ったくらいだぞ」
 クロエはそう言い切ると、大袈裟に肩を竦めて笑った。その笑顔を覗き込み、ノーマはにやりと口の端を持ち上げる。
「早めに見限れて良かったじゃん」
「セネルちゃんはにぶにぶさんだものねぇ」
 と、きっぱり言ったノーマの反対側で、グリューネが鋭い事をおっとりと吐く。
「おお、グー姉さんの口調で言われちゃうと、もうフォローのしようもないですなぁ」
 からからと明るいノーマの笑い声が、夜の海に響き渡る。だが、男連中とモフモフ族の三兄弟も盛り上がっているらしく、ノーマの笑う声にも気付かない。
 クロエは、明るい二人の雰囲気に乗せられて、喉の奥で微かに笑った。




 会話と会話の隙間に、ひんやりした海の音が入り込んでくる。打ち寄せる波の音、零れる砂の音。様々な微細な気配と、包み込む滄我の優しさが、海と一緒になってあたりいっぱいに満ちている。
 しっとりした沈黙の後。
「…クロエちゃん」
 柔らかいグリューネの声が鼓膜を揺らして、暖かい体がぴたりとクロエの半身にくっつけられた。
「お疲れさま」
 投げられた言葉の意味がわからず、目を見開くクロエに。今度は反対側からノーマが身を寄せた。
「さぁさ、泣くなり怒るなり、とことん付き合いますぜ〜」
 いつもの能天気な声で、ノーマがからりと声を上げた。
「ノーマ…、グリューネさん…」
 両側から寄せられる温もりに、驚いて言葉を飲む。一瞬瞠目し、クロエはくしゃりと表情を歪めた。だが、それは悲しい泣き顔ではない。
「…私は大丈夫。クーリッジとは違うぞ」
 濡れた声でそう言って、目尻に浮かんだ涙の粒を二の腕でごしっと拭う。ぱっと上げた顔は、夜の闇も敵わぬほどの明るさで。闇色の髪が、顔の動きにつられてさらりと揺れる。
「そう、思うだろう?」
 ノーマの鳶色の瞳が受け止めたのは、きらりと輝く闇の色。



 リッちゃんがセネセネにとって、どれだけ大切でかけがえのない子なのかは、よーくわかってるけどさ。
「…思うっ!クーのがよっぽどカッコいい!」
 でも、こっちフったのも、結構勿体なかったと思うよ?
 まぁ、あたしは結果にケチつけるほど野暮でもないけどね。




 ほんのちょっぴり寂しげな表情を隠せないでいるクロエの首に、右腕を絡ませるとノーマは弾けるように笑った。
「んじゃ、今宵はセネセネなんて忘れて、ぱーっと飲もっかぁ!」
「はぁ!?飲むって、お酒なんてどこに…」
「ちっちっちっ、このノーマさんをなめちゃ困りますぜ」
 人差し指を顔の前で揺らし、亜麻色の髪を大きく弾ませ、ノーマは元気にウィンクしてみせた。
「とっときがあんのよー。あたしの鞄のいっちゃん下に」
「なっ…」
 満面の笑顔で笑い飛ばしたノーマに、クロエは呆れ果て、絶句した。頬をぴくぴく引きつらせ、こめかみをぎゅっと押さえる。
「…まぁ、今は何も言わない」
 ウィルにバレたらどやされそうだが。
「話がわかりますなぁ!だーいじょうぶ、今飲んじゃえば軽くなるからさ!」
 ぴょこんと砂を蹴って立ち上がり、弾んだその口調と同じように元気に飛び跳ねる。
「ノ、ノーマ!…言っておくが、さ、酒は苦手だぞ」
 がばりと顔を上げ、クロエは心底困った表情を浮かべてノーマを見る。その、眉と眉の間の深い皺に、ノーマは堪らず笑い声を上げた。
「あたしが飲むもん。グー姉さんは?」
「大好きよぉ」
 白い両手を揺れる胸の上で構えて、グリューネは意外にもハートを乱舞させる。
「そうこなくっちゃ!!」
 ガッツポーズでそれに応えたノーマは、自分の鞄からとっときの一本を取って来るべく駆け出した。
 ざっ、ざっ、とノーマが砂を蹴って走って行く。さっきに比べて、だいぶ気持ちが軽い。それもこれも、ノーマのお陰だ。走っていく背を見つめながら、穏やかな表情で瞳を伏せる。
 とっかかりがなくなったとは言えない。未練がないとも言わない。
 でも、炎を映した横顔に、あの笑顔を浮かばせられるのは、自分じゃない。
「…それで、いいんだよな」
 溜め息と共に吐き出した返答は、永遠に海の中。





 乾杯をして、ノーマとっときの白ワインを傾けていると。不意に、グリューネがふわりと笑った。
「グー姉さん?」
 ノーマの疑問の声に。彼女はいつもと変わらず、ほえほえと続けた。
「また今度は、シャーリィちゃんも一緒に、四人で乾杯しましょうね」
 皮の簡易カップに注いだワインには、キャンプならではの趣があって。楽しさの成分が、いつもの倍くらい入ってるんじゃないかと思えるくらい。
 テンションの上がったノーマが、真っ先に拳を突き上げる。皮のコップから、ワインの滴が弾け飛んだ。
「おお、いいですなぁ、ソレ!ナーイスアイデア!」
 ワインで火照った頬を潮風に吹かれながら、クロエも後を続けた。
 優しい、漆黒の瞳を細めながら。
「ああ、是非そうしよう」




 今度は、四人で。
 セネルの文句でも肴にしながら。
 楽しく乾杯しよう。





「楽しみだな」
 女三人寄れば、こんなにかしましくて楽しいのだから。四人ならば、更に騒がしくて楽しいに違いない。
 そんな日も、きっと、悪くない。








レジェンディア初の、長めのSSでしたー。
レジェンディアは何処見てもネタがぽろぽろ出て来ます。いっぱい書きたいなv

海岸での「君を張り倒すRPG」の後、クロエの気持ちを説明する台詞とかがありませんでしたので、脳内で暴走してみました。
その後の決戦前夜では、「諦めない」と仰ってたクロエ様ですが、この時はセネルの背を押した以上諦めるのが筋だよな、とか、真っ直ぐなクロエのことなので、そう思ったんじゃないのかなと。

クロエにはきちんとクロエを愛してくれる素敵なお相手が出来ると良いなぁと、ほんとに思いますよ…!
セネルとクロエの関係は、”親友”が良いと思うのですよ!親友、マブダチ。性別を超えた友情、って格好良くないですか?
2005.9.13