一緒に帰ろう





 一日の終わりに来るこの時間。
 これが一番好きだと言ったら、皆には呆れられるだろうか。





 ウェルテスに帰って来るのは、大抵夕刻である。
 一日、そこかしこの遺跡に出掛け、日が落ちる頃にウェルテスに帰還する。意外と広い遺跡船の上だが、ダクトを使えば移動の手間は気にならない。
 今日も今日とて、ウィルの標本採集に付き合って出掛けて来たセネル達は、つい先程ウェルテスに帰って来たばかり。
 街の入口のダクトでジェイと別れ、入ってすぐの宿屋でノーマとグリューネと別れる。そのままメインストリートを真っ直ぐ進んで、パン屋の角の十字路まで来ると、ウィルにクロエにモーゼスは左に曲がる。
 そうして最後に残るのは、右の道を行くセネルとシャーリィの二人だけ。
 とは言っても、右に曲がって橋を渡れば、セネルが一人暮らしをしている家に着く。
 大通りの真ん中から、気持ちの良い風が吹く橋を渡って、たった50メートル。
 それが、二人だけの帰り道だ。
「今日の森、すごく綺麗だったね」
「明日は水の民の里に出張しに行くんだよ」
「クロエったら、私のこと心配してくれてばっかりなの。段差があるぞ、とか、枝が出てるぞ、とか。でもね、大きなちょうちょが出て来た時は、すっごく驚いちゃってたの。ちょうちょは苦手なんだって」
 意外だよね、とシャーリィは瞳を伏せて笑った。
 交わす言葉は、他愛のないものばかり。それも、話題作りの苦手なセネルを知っているから、シャーリィが何くれとなく会話を作ってくれる。セネルはそれに相槌を返すだけ。
 それでも、ころころくるくる表情を変えながら笑うシャーリィの姿を見ているだけで嬉しくて、セネルの瞳はずっと柔らかく微笑んでいた。
「お兄ちゃん、ちゃんとご飯作って食べてる?」
 いきなり、弱った方向に話が風向きを変えた。不意打ちに思いっきり口ごもりながらも、セネルは何とか苦笑いを返す。
「う、まぁ、ぼちぼちやってるよ」
「ほんとに?」
 冷や汗をかいて、しどろもどろに答えるセネルに、シャーリィは疑わしそうなまなざしを投げ掛けた。
「お兄ちゃんのことだもん、どうせ台所すっからかんなんでしょ」
「うっ…」
 自慢じゃないが、セネルは家事の一切が苦手だ。苦手、と言うより無頓着とも言う。多少カビが生えようがパンは食える。多少埃が溜まろうが瀬手渇するのに困りはしない。洗濯だけはするものの、生きて行ける程度の腐海なら、特に気にしないのだ。三年間の二人暮らしの間、家事を取り仕切っていたシャーリィが、他の仕事はともかく掃除と食事だけは一人でやっていたのも原因と言えば原因だが、セネルに一般的な家庭生活の記憶が薄いのも大いにある。
 生きてればいい。それは、孤児であった彼からすればあまりにも当然のことだったが、他人からしてみればあまりにも無頓着に取れる所業だった。
「やっぱり」
 肩を竦め、シャーリィが上目遣いにセネルを軽く睨む。セネルの無精はシャーリィのよく知るところではあるが、なかなかそれが改善に向かわない。結局のところ、セネルに家事の才能と根本的なやる気がない上、シャーリィもついつい彼に仏心を出してしまうのだった。
 今度こそガツンと言ってやるわ、と心の中でシャーリィは決意する。頭一つ小さいシャーリィが、よし、と口の形を作り、拳を握るのを見て、セネルは焦った。意外と頑固なシャーリィがその気になった以上、セネルに勝ち目がある訳がない。慌てて手を振りながら口を開く。
「あ、あのな、そろそろ買い出しに行かなきゃなー、とは思ってたんだけど」
「思ってただけ?」
「…ごめん」
 シャーリィの剣幕に負けたか、セネルは早くも白旗を上げた。しゅん、とうなだれるセネルを横目で見上げて、シャーリィは短く嘆息した。どうしてそこで、ごめん、なのか。そんなことを言われては、もう怒るに怒れないではないか。
 細い腰に両手をあてたシャーリィが、じっと黙り込んだのを、今度はセネルが横目で盗み見る。シャーリィが怒るのはもっともだし、自分に学習能力がないのもよーくわかっている。しかし、正直に言って、もうこれはどうしようもないことで。シャーリィに怒られれば反省するが、一人で家に帰ると、まぁいっかなどと思ってしまう。
 そうこうするうちに50メートルの帰り道はあっという間に終わって、もうセネルの家の前に着いてしまう。
「……じゃあ、明後日、水の民の里から帰ったら、お買い物に付き合ってあげる」
 門の前で立ち止まると、シャーリィがそう切り出した。
 眉間に皺をぎゅっと寄せて、これで最後だからね、と渋い顔を一生懸命作っている。当分は別々に暮らすのだし、それくらい出来なきゃ困るのはお兄ちゃんだよ、とシャーリィの海色の目が切々と語っていた。
「うん、わかった。ありがとな、シャーリィ」
 空色の目に、真剣な色を浮かべて、セネルが笑顔で返す。今ばかりは真摯に、明日からはきちんと自炊して掃除する!と決意しているのだろうが、それが翌朝になると何処かに霧散してしまうのだと、シャーリィはよーく知っていた。
 それでも、拳を握って力強く宣言するセネルを見ると、今度ばかりは信用してやろうかとも思ってしまうのであった。
「じゃあ、明後日の九時に、噴水広場ね」
 顔の横の三つ編みを揺らして、シャーリィが明るく言う。薄暗い夕闇に、彼女の蜂蜜色の髪が弱い月明りを浴びてきらきら輝く。
 シャーリィが住んでいるのは、この先のマダムミュゼットの屋敷だ。セネルがそこまで送って行く日もあるが、シャーリィは断ることも多かった。
 かつては同じ家で、兄妹として、家族として育ったのに、今は別々の場所に帰る。なんだかそれが慣れなくて、いつもこの時が来る度に、シャーリィを引き止めたい気持ちが行動に出そうになる。
 でも、今は、これでいいんだよな。
 自分に言い聞かせるように心の中で頷くと、セネルは少し低い位置にあるシャーリィの海色の瞳を覗き込み、満面の笑顔を浮かべて了承した。
「ああ。気をつけてな」
「大丈夫!お兄ちゃんの方こそ、明後日寝坊しないように気をつけてね」
 お兄ちゃんが寝坊したら、クロエと行っちゃうから、とシャーリィはくすくす笑った。以前シャーリィが、寝坊して待ち合わせ場所になかなか来なかったセネルを置いて、クロエと出かけてしまったことを、ねぼすけお兄ちゃんは今でも気にしていたのだった。
 シャーリィが仲間達と打ち解けてくれるのは、嬉しいけれど、同時に何だか寂しい気もする。特に、日に日に仲良くなっていくクロエやノーマやグリューネに、今まで見せたこともないような明るい笑顔を見せているのを見つけると、羨ましさを覚えるほど。
「わかってるよ。もう懲りた」
「それならよろしいです!」
 複雑な思いを腹の中で抱えながら誓うセネルに、シャーリィは瞳を細めて笑う。まぁ、シャーリィが幸せなら、それでいいけど。シャーリィの、零れるような笑顔を眺めながら、そんな惚気たことを考える。
「じゃあ、おやすみなさい」
 後ろ髪を引く思いを断ち切るようにきっぱりと言うと、シャーリィはくるりと向きを変えてマダムミュゼットの屋敷の方に小走りで駆け出した。門の横で見送るセネルの視界の中で揺れる金色の髪と白いワンピースが段々遠く、小さくなって行く。時折、窺うように振り返る姿に手を振ると、向こうからもぶんぶんと振り返してくれる。それだけで、嬉しくて仕方がない。
 そうして、橋の手前までシャーリィが行ったのを見ると、彼もくるりと踵を返した。





 いつも、何となく嬉しくって同時に寂しさも覚えるのが、セネルの家から向こうの橋までの短いこの道。別々の家に帰るのがなんだか不思議で、今でも慣れない。これまでは、二人の帰る場所はいつも一つだったから、つい今もそう思ってしまうのだ。
 ちらりと後ろを振り返ると、門の横で見送ってくれているセネルが小さく手を振った。それを見ると、シャーリィも弾けるような笑顔で力いっぱい手を振り返す。
 寂しいけれど、この瞬間だけはなんとなく好きだ。遠いはずの距離もぎゅっと縮まって、すぐそこでセネルを感じるような。橋に差し掛かったところでもう一度振り返ると、セネルは足の向きを変えて家の方に向かっていた。
 一緒に暮らさなくても、毎日夕方に別れの時があっても。一緒に帰って、別れを惜しみあう瞬間がある。それもまた、十分幸せなことだと、シャーリィは羽根のように軽やかに歩きながら思った。
 空に浮かぶ月は、鮮やかな山吹色。シャーリィの大好きな、最愛の姉のテルクェスの色だった。
「おやすみなさい、お兄ちゃん」
 もう一度、口の中で同じ言葉を転がす。鈴を鳴らすような涼やかな声音が、薄闇の中に響く。橋を抜けて、前方に目指す家が映る頃、舗装された地面を弾んだ足取りで踏み締めながら、遥か星空を仰ぐ。海色の瞳の中に浮かぶのは、欠けたところのない、完全な月。
「おやすみなさい、お姉ちゃん!」





 一方、一度自宅の方へ足を向けたセネルは、門を入った小道の途中で足を止めて一つ呼吸すると、くるりと正反対に向きを変えた。
 門の傍まで戻り、左手に目を凝らす。薄闇のウェルテスの街に、見慣れた、しかしこうして見送ることには慣れていない背が見える。
 そう、こうして、シャーリィも気付かないようにひっそりと、彼女の背が消えるまで見送る。最後まで見ていると気付かれるのは、何だか気恥ずかしくて。でも、最後の一瞬まで見送らないのも、それはそれで不安で。その揺らぐ感情の狭間、シャーリィが闇に消えるまで見送るのが、セネルのささやかな楽しみだった。
「…おやすみ、シャーリィ」
 闇の向こうに、完全に少女の姿が消えるまで見守り、今度こそ待っててくれる人のいない自宅に向かう。ノブを握り、空色の瞳をふわりと細めて、決意を込めて呟く。
「…よし!」
 銀髪の少年は明後日寝坊しないことを、改めて心に誓った。
 彼の決意が、無事守られたのかどうかは、明後日の朝をお楽しみにしておこう。









 キャラクエ入って比較的早い頃に、セネルとシャーリィが別れ際に手を振ってるシーンがあったじゃないですか。
 もう、あれが我が家でクリーンヒットでして(笑)
 大好きで大好きで堪らないんでございます(にへらにへら)
 最終的に、ステラとクロエに勝てないのが我が家のセネ太郎(笑)


 タイトルはいつもの如く柴田淳さんです。
 この曲の歌詞は素敵なくらいにセネシャリでした。というか、「手を振る」に関した歌詞があるんですが、それがゲーム中の手を振り合ってるシーンに被りまして(笑)
 曲中の「僕」のヘタレっぷりは、セネ太郎とアスランにぴったりです(笑)
2006.1.19