New Future





「なぁ、ミリィ?」
 ぱたぱたと前を歩いているのは、外に跳ねた毛先の栗色のショートヘア、細身の背中。黒いポーチを右肩に掛けた、オレンジ色の厚手のワンピースの裾をふわりと翻して、少女はくるりと振り返った。
「んー?なに?」
「…これ、すっげえ重いんですけど」
 両手に提げた、幾つもの紙袋とビニールの袋を持ち上げて見せる。
 げんなりと嘆く少年の声もまるっきり意に介さず、少女は軽やかに声を上げた。
「あら。ついて来るって言ったの、あんたじゃないの」
 少年の、切れ長の紫色の目を見つめ返し、少女はスカイブルーの瞳をぐるっと回した。
 そりゃあ確かにそうである。そうであるのだが。
 あまりにも意外そうなその口調に、笑みがありありと混じっていた。
「…へーへー。そうでした」
「何よ。その言い草は」
 ぷく、と頬を膨らませ、少女は腰に両手を当てて可愛らしい顔に苛立ちを表わした。つん、と顔を逸らすと、幼さの残る横顔が少年の目に映る。
 ずいぶんと柔らかくなったもんだよ。
 交わされる軽口の優しさに笑顔が漏れる。でもこれは、心の中だけの秘密。口に出せば、彼女はたちまち態度を硬化させて、きっととこの買い物の間中、これっぽっちも相手にしてもらえなくなってしまう。
 少年は、素直に口をつぐんだ。




「忘れてるものはないわよね。シャンパンでしょ、ターキーでしょ、ノエルでしょ…」
「菓子も買ったし、他の飲みもんも買った。食い物は用意してくれてあるんだろ?」
「うん」
 ディアッカの半歩分右斜め前を、オレンジ色のワンピースを翻したミリアリアが進んでいる。白い、丈の短いPコートを着込み、同じく白いモヘアの手袋をつけた両手を、背中の後ろで握り合わせている。
 夕闇の降りかけた街路には、夜の風が吹き出して、ぴゅーぴゅーと強く吹きつけて来る。街路はすっかりクリスマス一色で、樹にはイルミネーションが飾り付けられ、両側の店も赤と緑と金銀で華やかに飾りつけられていた。
 正直に言って、今はちょっと浮かれていると思う。きらきら眩しいネオンの下を一緒に歩いているのは、初めて私服を拝んだ少女。今まで思いの他長い付き合いをしているが、考えてみればこうやって出掛けるのも初めてである。
 この気持ちの正体をなんと言うにしろ、状況的には非常に嬉しい。
 両手に山のように提げられた袋には、この際目をつぶっておこう。




「すっかり暗くなったなー」
 ミリアリアが遠慮なく押しつけまくった買い物袋を、両手に鈴生りに提げて空を見上げ、ディアッカは感嘆したように呟いた。プラント生まれプラント育ちの彼には、地球上のあらゆるものが珍しいらしい。ショーウインドウに映ったディアッカの姿を見ていたミリアリアは小さく笑うと、意識を前に戻した。
 短く刈り込んだブロンドに、紫色の瞳。ミリアリアよりも頭一つ以上高い身長に、浅黒い肌。最初にあった時は、彼に猛烈な殺意すら覚えたものが、その次に感じたのは確か恐れだったと思う。自分が知っていた同世代とはまるで違う、力の所有を体現しているような、堂々とした体躯だったから。
 でも今は、それを恐れるものではないと彼女は知っている。意外とセンスの良いパンツとジャケットを着ている姿は意外と絵になっているような気がしないでもない。
 そういえば、こいつ、結構おぼっちゃんだったんだっけ?
 聞けばちゃんと答えてくれそうだが、気にしたことはなかった。素姓も何も関係なく、彼は彼だったから。
「急がないと遅くなっちゃうわね」
「ほんじゃ飛ばすか」
 言うなり、ディアッカはスピードを上げた。荷物の重さも感じさせず、瞬く間にミリアリアを追い抜く。
「え?」
 ぱち、と瞬きする間に、ミリアリアの前に立ったディアッカが振り返った。
「置いてくぞー」
 180センチの肩越しに、にやにや笑う紫色の目がミリアリアを見下ろしていた。
 …冗談じゃないわよっ。
 ミリアリアは、本格的に頬を膨らませた。
「…ずるいっ」
「何が」
「そもそもリーチが全然違うじゃないっ」
「そりゃあな。
 …別に、今からでも遅くないんじゃねぇ?」
 頑張ればこれぐらいの身長なんとでも。
 ぷちっ。額に青筋を浮かべたミリアリアは、まだにやにや笑っているディアッカの向う脛を、無情にも力一杯蹴飛ばした。
「ぁいってぇ…!」
「自業自得よ」
 ついっ、と顎を逸らし、痛がるディアッカを放ったらかしにして、ずんずんと追い抜いて行ってしまう。
 バカバカバカバカッ!
 白いミトンの手袋を、ぎりぎりと鳴るほどに握り締める。
 一瞬でも、良い奴かも、なんて思ったあたしの気持ちを返してよッ!ほんっと悔しいッ!どうして男ってば、こう無駄にでっかいのかなッ!?
 心の中でありとあらゆる罵詈雑言を叫びながら、ミリアリアは脛を抱えるディアッカを完全に無視して、一人でどんどん先に進んで行った。





「ったー…」
 普通、身長のことぐらいでそんなに怒るか?
 涙混じりの顔を上げ、肩を怒らせて歩み去るミリアリアの背を見て、ディアッカはふらふらとその後を追う。
 ミリアリアだって、そんなに身長が低い訳じゃない。言うならば、ディアッカが規格サイズ外なのである。だが、180センチなら、まだまだ大きい方ではないと思うのだが。
 …例の彼氏は、そうでもなかったのかな。
 ミリアリアが何か感情を露わにする度に、いつもそう思ってしまう。それは、決して良い癖ではないとはわかっているのだが。
 苦笑してミリアリアを追うと、彼女は少し先のショーウインドウの前で立ち止まっていた。手袋をつけた手でガラスに触れ、中のディスプレイに見入っている。何かな、と後ろからこっそり覗き込むと、彼女の吐息で白く染まったガラスの向こうに、きらきら輝く小さなものが綺麗に並べられていた。
 アクセサリーか。どうして女って、こういうの好きなんだろうな。
 軍人は、任務中はこういう類いのものは一切禁止だ。着けたくてもどうにもならないが、そもそもあんまり興味はない。
 だが、クリスマスカラーにデコレーションされたショーウインドウの中を夢中で見ているミリアリアの横顔を見ていると、少し興味が湧いた。
 やばいかな、と思いつつも、つい訊ねてしまった。
「……欲しい?」





 ……はい?
 ちょっと、こいつ、今、何て言った?
 一瞬耳を疑って固まり、次いでがばっと背後を振り返る。思っていたのより、ずっと近くにディアッカの顔があって、思っていたのより、その表情は真面目くさっていた。
 20センチの目線の違い。
 同じコーディネイターでも、キラとは、彼とは、見ているものは同じだと自信を持って言えた。同じような生まれ、育ち、家庭環境。そこに差があると思ったことはなかったし、実際差はなかったと、今でも思う。
 だけどこの差は。プラントに生まれ、プラントで育ったコーディネイターのディアッカ。ナチュラルを滅ぼし尽くす為、武器を取ったディアッカ。
 この差は。
 拭えない?
 縮められない?
 埋められない?
 ディアッカの、紫色の目を、じっと見上げる。そこに映るものは、硬い表情で唇を引き結ぶ、自分の姿だった。
 気付けば、すうっと唇の端を引いていた。幼さの残る顔に、零れるような笑顔が咲く。
 20センチの差から見える世界。
 かなり違うものだと思ってたけど、案外、そうでもないみたいね。




 …おいおいおい。
 どうしてそこで笑うんだ!?
 まさか、「いいわよ」とか言うんじゃないよな?それは、うっ、嬉しいような嬉しくないような…。あ、いや嬉しいが…っ!
 ディアッカの心中の葛藤を見越したかのように、ミリアリアはいきなり踵を返した。ふわり。少女の甘い香りと笑顔の余韻と一緒に置き去りにされて、呆然と立ち尽くす。ぱちぱちと、きっかり二回瞬きをして視線を上げると、二、三歩先でミリアリアが笑ってこちらを見ていた。
「…百年早いわよ。ディアッカ・エルスマン?」
 あたしまだ、トールのこと、忘れられない。
 それに、カメラマンとしては駆け出しだし。
 あんたはザフトの軍人だし。
 まだ、ちょっと、早いわ。
 口も目も半開きでぽかんとしているディアッカの姿を小さく笑い、ミリアリアはブーツの爪先でとんっ、と地面を叩いた。
 でも、この先のことは、きっとまだわからない。





「…百年は」
 数瞬の沈黙の後、ディアッカが口を開いた。それは、いつもどおりの、飄々とした声で。
「我慢出来ねぇなぁ」
 するり、とミリアリアを追い越して行く。
「……あたしだって待てないわよ」
 先を行く広い背を睨んで口を尖らせ、ミリアリアは囁くように答えた。それは、ほとんど口の中で転がされた言葉で、ディアッカには届かなかった。
 ぱっと駆け出し、山程提げた袋越しの隣に並んで、二人は足早に市街を進んでいく。彼の言葉どおり、日も落ちて、空はすっかり暗くなっている。西の地平線が赤みがかった紫色に染まっていて、その色は目が覚めるぐらいに綺麗だった。
 栗色の髪を揺らして、勝気な少女は胸を張る。
「百年も待たせたら、待っててやんないから」
 その気の強い口調に、ディアッカは思わず苦笑する。
「ていうかその前に俺ら死んでるじゃん。117だぜー。流石に自信ねぇなぁ」
「自信があっても困るわよっ。それともコーディネイターって、寿命もナチュラルの倍くらいあるっていうなら別だけど?」
「お前、倍は有り過ぎだろ…。しまいにゃ骨と皮だぞ」
 有り得ないことを言い交わす冗談も、何だか意外とスムーズで。
 横目でミリアリアの栗色の髪を見下ろしたディアッカが、そっと口を開く。
「…ま、努力します」
 知る訳ないよな。俺が、こんなこと言っても良いって思ったのは、お前が最初だって。




 ざわつく雑踏。二人の横を、前を、後ろを、たくさんの人が横切っていく。
 すれ違うだけの人。言葉を交わす人。心を交わす人。
 あんたは、どれなのかな?
 お前は、どれなんだろうな?


 二つの紙袋と、ビニール袋一つを隔てた近さ。
 今は、縮まったような、縮まっていないような、その微妙な距離で十分だった。





「その時は、目ん玉飛び出るくらい高いの買ってもらうから」
 あそこに並んでるのなんて目じゃないくらいのものを。
 う、とディアッカが20センチの頭上で呻いた。
「…まぁ、期待しないでおくけどね」
 腕を伸ばしてディアッカの腕をぽん、と叩くと、ミリアリアはスカイブルーの瞳を悪戯っぽく輝かせて笑った。
 待ってるわ。
 そんな日が、スキップでもするように、軽やかに訪れることを。








 予想外に出来ちゃいました(笑)
 最初の予定にディアミリはなかったのですが、書いてみたら楽しくって(笑)止まらない止まらないっ!…って(あはは)
 これは種ED後のイメージで。くっつくのには時間が掛かりそうですが、何気に上手く行っちゃいそうなのがディアミリだと思いますv(にやにや)


 今年一年の感謝をめいっぱい込めまして。
 Merry Christmas!
 
2005.12.17