Silent Night Holy Night





「ぶっ!」
 暗い夜を切り取ったような窓の中に、鮮やかな赤毛が揺れているのを見て、シンは見事にココアを吹いた。続いて赤毛の主は、強化プラスチックの窓をこじ開けて、当たり前のようにするりと暖かい室内に潜り込んでくる。白いセーターが夜陰に映え、タータンチェックのミニスカートがふわりと翻った。寒そうなミニスカートだったが、彼女は黒いニーソックスも履いていた。すらりと長い、均整のとれた脚が真っ先に入り、次いですとん、と床に降り立つ。
「やだ汚いわねー。レイに怒られるわよ」
 まったくいつも通りにくつくつと笑って、ルナマリアは、シンの目の前に立っていた。
 その、あまりの何気ない様子に、シンは、苦虫を噛み潰したような表情で憮然と呟く。不覚にも吹いてしまったココアが、ぽたっぽたっと顎を滴り落ちていた。
「…ルナ、ここ、男子寮だぞ」
「わかってるわよ。だってここ、あんたとレイの部屋じゃない」
 そんなにあっさりと言うなよ。シンはがくっと肩を落とした。強化プラスチックの窓は、内側のスイッチを操作しないと開かない筈なんだけど。
 だが、手先の恐ろしく器用なルナマリアに、そんな理屈が通用しないことはシンもよくわかっていた。そしてそこに、あえて突っ込む勇気もない。
 顎を滑るココアを、無意識に長袖のシャツの裾で拭ってしまった。着替えたばっかりだったのに。しょんぼりと落ち込んでも、どうにもならない。
「…頼むからばれないようにしろよな」
 一応、一言そう釘を差すのは忘れなかった。ルナマリアだって、それくらいはわかっている、…はず。
「はいはーい」
 肩までの赤毛を揺らし、スカイブルーの瞳を悪戯っぽく回すと、底抜けに元気な台風の目は、わかっているんだかいないんだか、無駄に元気な返事を投げた。




 彼女が堂々と窓から侵入してきたのは、シンとレイの個室である。アカデミーの寮は、二人一部屋。白い壁に、お揃いのベッドとお揃いのパソコンデスクが左右対称に並んでいる。ベッドの脇にはクローゼットがあって、そこに衣類や私物を入れる。部屋に入って右にはシャワールーム。左側は作り付けで壁に納まっている棚。棚は二人の共有スペースで、コップだの本だのが同じ段に納まっていた。二人部屋にしてはそれほど大きくはないが、寝起きと勉強のためのスペースにしては十分快適と言えるだろう。シンプル過ぎるほどシンプルな内装で、生徒――特に女生徒は、それぞれに工夫を凝らして住んでいた。
 だが、この部屋の持ち主の二人に関しては、あまり部屋を自分風に変えるつもりもないらしく、まったく同じ内装の空間が左右対称のままに使われている。が、この二人のスペースを逆に取り違える者は絶対にいないだろう。
「シンのベッド、こっち?」
 と、彼の返事も聞かずに右側のベッドに腰掛ける。ファイルやノートやスティックメモリが乱雑に散らばったデスクの上と、ベッドの上に転がった制服などを見てルナマリアが判別したのは確実で、シンは何とも言えない気分になった。シャツから、ココアの甘い香りが漂っている。水色のシャツなので、早く洗わないと染みになってしまうが、シャワールームは今レイが使っているから入れない。とにかく水に浸したかったが、そうもいかなかった。
 シンのベッドに座り、ルナマリアはきょろきょろと興味津々の様子で周囲を見回した。
「へぇー、男子寮も女子寮と大して変わんないのね。間取りもみんな同じよ」
「…そんなことはどうでもいいけどさ、ルナ。どうしたんだよ。わざわざ、こんな時間に。俺、罰掃除はゴメンだぞ」
 シンの口調は、怒っているというより訳がわからないようだった。
 夜九時以降の、男子寮と女子寮の行き来は寮則違反だ。一週間の罰掃除が与えられる。
 当惑しているシンを見上げて、ルナマリアはやれやれといった様子で肩を竦めた。
「鈍いわね、シンってば。今日は何月何日?」
「…?12月24日」
「そう。クリスマス休暇に入って、寮監も教官も大分減ったし。それに、今日はめでたい日よね?」
「たぶん」
「……もういい。シンに期待したあたしが馬鹿だった」
 そんなことはルナマリアにだけは言われたくないと、彼女の友人の少女達が居たら、口を揃えて叫んだだろうが、生憎と今は彼女に突っ込む者はいなかった。
 つまり、クリスマスイブの日に、お目当ての男子生徒の部屋へこっそり忍び込む友人の手引きをしてやるために、ルナマリアも一緒に男子寮に忍んで来たのだ。休暇に入って、生徒たちの大部分は帰省しているし、残っている寮監や教官たちの数も少ない。この日に限っては、アカデミーの品位を落とさない程度の多少の無礼講には目を瞑ってやるのが、アカデミーの大人達からのクリスマスプレゼントと言えるかも知れなかった。普段は絶対会えない夜の時間に、こっそり少しだけ会う。それが、アカデミーの恋人たちにとってのクリスマスイブという訳だ。
 そして、それを確実にするための手助けがルナマリアの役目という訳だった。この手の窓は、コツさえつかめば機械を誤作動させて、外からも開閉可能になるらしい。もっとも、そのコツはルナマリアぐらいにしかわからないのだったが。
「なんだよ、それ」
 少しムッとして、シンが口を尖らせる。赤い瞳がぎらりと剣呑に光った。シンはよく、目つきが悪いだの恐いだの言われる。だが本人は自覚がないので、結構戸惑っている様子だ。丸いくりくりっとした目と言うより、切れ長に近い目の形をしている上、愛想良くにこにこ笑うのは苦手である。極めつけは、その瞳の血のような赤さ。感情が昂ぶると、高級なルビーのようにぎらぎらと輝く。おそらくそれが、彼が女の子から恐いと言われる所以だった。
 だが生憎とルナマリアは、別にそれを恐いと思ったことはない。ひらりと手の平を振って、話を煙に巻いた。
「まあまあ、いいじゃないの。ちょっと遊びに来てみたってことで」
「…?まあ別に何でもいいけどさ」
「そうそう。そういうことで!」
 と、ルナは軽やかに言って、スカイブルーの瞳を輝かせた。いつもこうやって、強引なルナマリアのペースに乗せられてしまうのだが、彼女は別にそれを嫌味と感じさせない。やんちゃで悪戯好きで、度胸もあって、女の子の割には随分とさばさばしていて。
 つまり、男のシンにとっても、彼女は非常に付き合いやすい友人だった。
「ルナ、それ何?」
 けらけらと笑いながら手を振るルナマリアが、ベッドの上に投げていたものを見咎めて、シンが首を傾げた。緑色の、細長い瓶らしきもの。
 …ワイン?
 まさか、とその考えを頭の中で打ち消す。まず第一に自分達は未成年で、第二にここはアカデミーの寮である。調達場所が思いつかない。
 問われて、ルナマリアはにっこにっこと表情を朗らかにした。
「ああ、コレ?へっへーん。手土産〜♪」
 シンの目の前に、たぷんと液体の揺れている緑色の瓶が突き出される。ラベルに描かれたイラストと文字に目を走らせると、中身にすぐに思い至った。
「シャンパン?」
「あったりー!」
「マジで!?どうしたんだよ、こんなもの?」
 真ん丸に見開く赤い瞳の視線を受けて、ルナマリアはえっへんと胸を叩いた。
「食堂で頂戴して来ました♪」
「頂戴したって…。くすねたのかよ?」
「失礼ねー。そんなことする訳ないでしょ。遊びに行ったらね、貰えたの」
「へぇー。いいなぁ、俺も行ってこようかな」
 ラベルを見ると、それは思ったよりも安くないシャンパンのようだった。食堂のおばちゃんは、随分と太っ腹にも、高価なシャンパンをクリスマスプレゼントにくれたらしい。ルナマリアのラッキーにあやかろうとシンが立ち上がりかけると、呆れた声が引き止めた。
「もう九時過ぎてるから食堂には行けないじゃないの」
「あ、そっか」
 食堂は寮の外なので、もう行くことは出来ない。シンが残念そうな表情をすると、ルナマリアがばしんとその背を叩いて大笑した。
「一応、ここで飲もうと思って持って来たんだけど。
 …感謝するわよね?」
 にっこり。瓶を右頬に添えてルナマリアが笑うと。
「するッ!」
 顔を輝かせ、シンは嬉々として返事をした。この後それをネタにルナマリアから様々なノートをせびられることになろうとは、まだ考えてもいない。
 途端にテンションが上がって、わいわいと二人が話していると、シャワールームからレイが出て来た。全身から湯気を立たせ、肩に掛けたタオルを握った姿のまま、一瞬立ち止まる。
「…ルナマリア?」
 風呂から出るなりいきなりこれでは、さしものレイも驚いたらしい。年の割には低く落ち着いた声音の語尾が、訝しげに上がった。
「あ、お邪魔してるよー」
 ひらひらっと手を振って、ルナマリアは何事もなくからりと笑う。レイがシャワールームから出たので、替えのシャツを掴んだシンが代わりに駆け込んだ。戸惑った表情も見せたものの、レイもシンと同じく、ルナマリアの行動には慣れていた。横を通り過ぎるシンを苦笑で見送って、レイはおもむろに椅子を持って行ってドアの前に置いた。寮の部屋には鍵がないので閉め切ることは出来ないが、こうしておけば万が一誰かが入って来ても、すぐには部屋の中まで気が回らないだろう。まあ、よっぽどの大騒ぎをしなければ、今日寮監が見回りに来る可能性はかなり低いと思われた。
「シャンパン持って来たの。レイも飲むでしょ?」
 シンと同じように訝しがるレイに、シャンパンを貰った一部始終を話す。
「コップ借りて良いー?」
 我が物顔で部屋を物色するルナマリアに苦笑して、棚を指し示す。こんな寮生活では、格別隠し事などないもので、ルナマリアに棚を物色されたぐらいでは気にならなかった。皿などの食器類はある訳がないが、マグカップなら置いてある。マグカップでシャンパンというのも変な話だが、この際仕方がない。
 風呂上りのレイは、色の褪せたジーンズに半袖のTシャツという、彼にしては珍しくラフな姿だった。タオルで濡れた金髪を拭きつつ、棚を開けるルナマリアに訊ねる。
「ルナマリアは帰省しないのか?」
「うん、帰んない。卒業したら帰るわよ。レイもシンも帰らないみたいね?」
「ああ」
「クリスマス休暇ったって、4週間もあるのよ。家帰ったりしたら、なまるに決まってるじゃない」
 肩をすくめて、ルナマリアが言う。棚から、シンとレイのマグカップをそれぞれ取り出した。一個足りないので、どうしようかとルナマリアが思案していると、レイが今度はシャワールームを差す。つまり、洗面台のカップを使ってしまえ、という訳である。
 強引だが、まあしょうがない。
 ごめんね、シン。
 ルナマリアは、心の中で厳かに合掌した。
「アカデミーに残ってれば好きに自習出来るし。あたしはそっちの方がいいわ」
「そうだな。ルナマリアの場合、少なくとも射撃の練習だけは毎日やった方がいいだろうな」
「えーっ。それは嫌っ。だって面白くないもん」
 射撃が苦手なルナマリアは、当たらないからこそ余計に射撃が嫌になっている。頬を膨らませて、つんっと顔を背けるルナマリアに、レイは小さく笑った。
「良い機会だ。休暇の間、みっちり付き合ってもいいが?」
「勘弁してよー…。レイってば、一日何時間射撃の練習すると思ってんの!?」
 正確には1時間程度だが、ルナマリアにとってはその1時間でも拷問に近かった。
「ルナマリアはやれば出来るのにやらないだけだ。休暇が明けたら試験だぞ」
「やーめーてー。もう、どうしてそう嫌なことを思い出させるのかなぁ」
 眉間に皺を寄せ、本当に嫌そうな顔をしてルナマリアは両耳を塞いだ。
 それはシンも同様で、レイはそれを勿体無いと思っているのだが、本人たちには馬の耳に念仏だ。100%の力を出さずに何とかなるなら、そっちの方が得らしい。結局追試を受けることになるのだったら、最初から頑張った方が効率が良いような気がしないでもないのだが。
 口を尖らせるルナマリアを見て、レイは端正な顔を緩めた。それでも、何気に何でもこなしてしまうのが彼女の才能なのかも知れなかった。
 レイが半袖の上にチェックのセーターを着込む。ルナマリアは、あたりをぐるりと見回して、部屋のコーナーライトが置いてあるキャスター付きのスタンドを引っ張ってきて、ベッドの間に置いた。その上に、マグカップを2個並べる。腿の間に瓶を挟んで、シャンパンの蓋を開けようと力を込めた。
「次あたり、シンに負けても知らないぞ」
「やぁだ、それはないわよっ。いくらなんでもペーパーじゃ負けないもん」
「俺だってモビルスーツ戦じゃ負けないぞ!」
 シャワールームから出てきたばかりのシンが、心外だとばかりに会話に加わった。シンは、フード付きの灰色のトレーナーに着替えている。プラントには冬の厳しさはないが、温度湿度の変化がない訳ではない。この季節は比較的厚着だ。
 どうやらレイとルナの会話はシンにも丸聞こえだったらしい。二人は大体の成績がどんぐりの背比べであったが、シンは実技系の成績が、ルナマリアは手先を扱う技術系の成績で、それぞれお互いを抜いていた。
「だが、ルナマリアのこの前のモビルスーツ戦は凄かったな」
 先日、授業で1つ年上の男子生徒に圧勝したルナマリアは、それからしばらく機嫌が良かった。レイに言われて、その時の事を思い出し、ぱっと表情が明るくなる。
「でしょー?」
 あれはスカッとしたもん、とルナマリアはうきうきと言った。
 実を言えばルナマリアのモビルスーツ戦の成績はかなり良いのだが、この二人が相手では大分差をつけられているように見えてしまう。負けず嫌いな彼女にとってそれは、かなり悔しいことでもあった。
「ああ。あれには勝てる気がしなかった」
 真面目くさった顔でレイが言うと、ルナマリアはぷっと吹き出した。
「まさか。本気のレイに勝てたら苦労しないって。それとも、手加減してくれるの?」
「してもいいが、ルナマリアは手加減されるのを嫌がっていたと思ったが?」
「まぁね」
 たとえ勝てないと分かっていても、手加減されるのは嫌だ。だが、言ったレイの方も、手加減する気は最初からなかったので、おあいこといえばおあいこだった。全力で蓋を捻りながら答えるルナマリアに、レイは無言で救いの手を差し伸べた。
「すまないが、シン。洗面所からカップを持って来てくれるか?」
「わかった」
 洗面所でカップを洗う音が響く。ルナマリアから瓶を受け取り、水音に紛れて、シャンパンの蓋を開ける。いともあっさりと固い蓋を開けてしまう少年の力が、ルナマリアには羨ましい。筋トレ増やさないと、とルナマリアは心の中で決意した。端から負ける気はないのが、流石彼女だった。握り拳をして、何やら決意しているらしいルナマリアを、レイがちらりと見る。
「…どうして、俺とシンの部屋に?」
 残っている者達は多くないとは言え、他にいない訳ではない。他の女の子達が、目当ての異性の部屋へ忍んで行く感覚で、ルナマリアがシンとレイの部屋にやってきたとは、彼女の性格上、とても考えられなかった。
 ああ、と答えて、ルナマリアはにっこりと顔を綻ばせた。
「あんた達と一緒に飲むのが、一番楽しそうだと思ったから、かな」
 ま、別に深い意味があるわけじゃないけどね、とルナマリアはからからと笑った。
 だが、レイやシンにとってルナマリアが付き合い易い友人であるのと同様に、彼女にとっても彼らが付き合いやすいクラスメートであることだけは、少なくとも確かなのだった。
 シンが洗面所からコップを持って来ると、レイが二つのマグカップとプラスチック製のコップにシャンパンを配る。薄い黄色のついた液体が、細かな泡を立てながら、不釣合いな入れ物の中で涼やかに鳴る。香りも良いし、本当になかなかのシャンパンだった。
「よっし。じゃ、乾杯といこっか?」
 真っ先にシンのマグカップを手に取って、ルナマリアがそれを顔の横に掲げた。続いて、レイが自分のマグカップを手にする。最後に残ったシンは、口を尖らせながら渋々プラスチックのコップを取った。
「何に乾杯する?」
 いつものように落ち着き払ったレイが、シンとルナマリアの顔を順繰りに見回した。
「クリスマスに、でいいんじゃない?」
「じゃなきゃ、ルナのお手柄に、だよな」
 にやっと悪戯っ子のように笑って、シンがカップを掲げた。
「ああ、それ良いわねぇ」
 その言葉に、ルナマリアは嬉しそうにまなじりを下げる。
「それじゃあ、そういうことにしようか」
 レイも、珍しく明るい顔でマグカップを構えた。





「ルナのお手柄に」
「クリスマスに」
「…今日の、この時に」
 カン、カン、カン、とマグカップとコップが軽やかに触れ合わされ。
 三人は、一瞬、それぞれ色の違う瞳を見交わし、溢れるくらいの笑顔を零した。
「乾杯!」








 溢れんばかりの妄想で失礼しました(爆笑)
 ところどころ変なとこには目を瞑って下さいませ…!
 そもそもシンとレイが同室だなんて誰も言ってません(笑)しかもアカデミーに寮があるなんて何処にも書いてないよ!(多分)

 我ながら、何処から突っ込めばいいのやら(笑)寮生活で、男子寮女子寮越えはロマンだと思いました。そんな産物。男が女子寮に行くとただの夜這いなので、逆です(笑)でもルナさまならやりかねないよ!(と、思う)
 シン+ルナ+レイだったはずなのに、気付いたらレイルナ+シンになってるような(あれー?/笑)


 今年一年の感謝をめいっぱい込めまして。
 Merry Christmas!
 
2005.12.21