Farewell





 瞼の裏に眩い光を感じて顔を上げると、巨大な要塞が、嘘みたいにたくさんの黒煙に包まれ、崩れ落ちて行くところだった。



 …終わったんだ。
 頭が痺れて何も考えは纏まらなかったけど、それだけははっきりとわかった。これからどうなるかとか、戦いの勝敗とか、そんなのは頭のどこにもなかったけど。
 オーブは撃たれなかった。あの国は生き延びたんだ、と私の中の冷静な声が呟いた。
 漆黒の宇宙の中に、炎を躍らせながら消えていくメサイアに呆然と見入っているうちに、みるみる涙が溢れて来て、シンと二人、体中の水分がなくなるみたいに泣いた。泣いてるうちに頭が覚めてきて、ミネルバはどうしたんだろうとか、レイは無事なのかな、とか色々頭の中を巡ったけど、今は何より泣きたくて。



 頼りどころのない無重力の中で、腕の中のシンの感触だけが、今が現実なんだって教えてくれていた。



 どこまでも続く静寂の中、あたしの耳に届くのは、スピーカーから聴こえるシンの吐息だけ。
 遠くで上がる炎も閃光も、まるで大画面の中の映画みたい。手を伸ばしても触れられない、現実ではないような錯覚を覚える。ほんの少し前まで、あたしもあの戦いの中にいたなんて、何か性質の悪い冗談みたい。
 シンが動かないから不安になって、膝の上の顔を覗き込む。鮮やかなカーネリアンの目は、じっと遠くの虚空を見つめて、時折微かに震えていた。あたしと同じ、途方に暮れた、小さな子供みたいな目。
 あたし達が戦ってた理由とか、ミネルバのみんなの気持ちとか、全部をそっくり残したまま、戦いは終わってしまった。なんにも答えを出せないまま。出してくれないまま。あたしの中の、苦い気持ちもなくならない。
 これで良かったのか。それとも駄目だったのか。
 …あたしは、どこから答えを引き出せばいいんだろう。



 果てなんてないんじゃないかっていうくらいの涙もようやく引いて、シンの疲れ切った表情を見ているうちに、あたしは自然と気分が落ち着いてきた。元々あたしは細かいことを考える性格じゃない。それに、今はこんなところで死ぬつもりもないし。
 今のシンは、あたしが守ってあげなくちゃ。
 インパルスの信号は消えてないから、ミネルバが墜ちてなければ探してくれてるはず。
 動かなきゃ、行かなきゃと思って顔を上げると、漆黒の宇宙の向こうで、見たことのある機体が着陸態勢に入っているのが目に飛び込んだ。真紅にカラーリングされた、スマートなボディ。
 まさか。あんなもの、心当たりなんてたった一人しかいないわよ。
 でも何故、一体、今更彼が?頭の中を、ハテナマークが埋め尽くす。
 あたしが体を強張らせたのに気付いたシンが顔を上げて、目線で問う。あたしはなんて言えばいいのかわからなくて考えあぐねた挙句、わずかに肩を竦めて、一言で告げた。
「アスランよ」





「どうした、大丈夫か?」
 ずしんと地を揺らして、デスティニーの傍に降り立ったジャスティスから、アスランがさも平然とあたし達の傍に寄って来る。
 あたし達の後ろの、大破したデスティニー。彼は、最新型の、高性能の機体をあれだけあっさりと倒してみせた。ああ、この人はあの『アスラン・ザラ』だったんだっけ。最初、壊れたデスティニーに駆け寄った時、あたしは不謹慎にもそう思ったわ。
 彼は、すごく心配そうな顔をしながら、あたし達の隣に膝をついた。
「ミネルバはもう、全員が退艦してる。インパルスじゃ降りられないぞ。本隊に合流して、何処かの艦に収容してもらわないと」
 ヘルメットの中の、彼のエメラルドグリーンの瞳が優しく揺れる。肩に乗せられた手から、伝わる訳ないのに温もりが広がっていくようで、それはとっても瞼に染みた。もう、どうしてこの人は。今のあたし達に優しくする筋合いなんて、貴方にはないじゃない。前とまるで変わらない行動に、枯れたと思った涙腺がいきなり緩くなっちゃう。
 あたしは、シンが殊更強くしがみついて来るのに応えながら、掠れた声で彼に答えた。
「…どうして、こんなところに?」
「撤退しようと思って、月基地に向かってたんだがな。まだお前達の姿が見えたから気になって。…動かないのか?」
 デスティニーは大破させたから当然としても、インパルスは右腕と右足しか落としてない。動くはずだが、と眉を顰める彼に、あたしは首を振る。
「平気です。あれくらい、どうってことありません」
 思わず撥ね除けるような声音になってしまってはっとしたけど、彼は何故か安心したみたいだった。ヘルメットの中の、エメラルドグリーンの瞳がふわりと細められる。ぽん、とあたしの肩を叩いて、彼は立ち上がった。
「それならいい。お前達をザフトの艦まで送る訳にも行かないし。アークエンジェルに連れて行ってもどうせ大人しくしてないんだろう」
「あ、当たり前ですっ」
「…その意気だ」
 スピーカーから響く彼の声に、笑いが混じる。その声音のあまりの優しさに、あたしは一気に顔が熱くなるのを感じた。
 な、何がおかしいっていうのよ。
 穏やかな笑顔の彼は、口を尖らせるあたしから、あたしにしがみつくシンに視線を移した。深いエメラルドグリーンが、シンを真っ直ぐ捉える。彼とは顔を合わせないよう、頑なに背を向けたままのシンが、微かに震えてる。背中にアスランの視線を感じて、すごく居心地悪そうに。
 そんなシンの様子はわかっているだろうに、アスランはシンの背に向かって言った。
「…シン。情勢が落ち着いたら、一度オーブに来い」
 びく。腕の中のシンが一際大きく身体を強張らせる。
「もう一度、しっかりと、お前の目であの国を見るんだ」
 アスランの言葉は、すごく優しい。本当に本当に穏やかで、でもどこか切なくて。あたしは、そんな彼の言葉の間に食いつきたくなる衝動を、ぐっと抑えた。
 どうして、メイリンを?
 …でも、きっとあたしは、もう頭の中ではわかってる。あれは、彼が悪いんじゃない、ってことくらい。あの子は、あの子の意志で、あたしの元を去ったんだ。唇を噛んで、涙が滲むのをぐっと飲み込む。
 シンの震えが酷くなる。感情を抑える為に震えるあたしの腕を、指が食い込むくらいに握り締めて。
 アスランは、そんなシンの気持ちを宥めるように、静かに続ける。
「オーブは、いつでもお前を待ってる」
 途端、あたしにしがみついてたシンが、がばっと身体を起こした。
「っ、どうして…!」
「!シン!?」
 驚いて名を呼ぶあたしの手も振り払って、シンはアスランに掴み掛かった。ほとんど体当たりでアスランの胸倉を掴み上げ、無重力の海を押して行く。
「どうしてアンタはそんなことを言うんだッ!」
「シン…」
「確かにッ、オレはオーブが好きだったよ!オーブの掲げる理想も、それを貫こうとしているアスハ代表も、好きだった!でも…っ」
 昂ぶった感情のままに暴れる声が、あたしのスピーカーからも響く。
 じわり。激昂の中に、一点、涙が混じった。
「でも…っ!オーブに裏切られた気持ちも、嘘じゃないっ!あいつらが、オレの全部を失わせたんだ!」
 シンを止めようとあたしは立ち上がって、二人の間に割って入る。
 また溢れた涙で滲んだカーネリアンの目で、アスランを睨みつけるシン。無表情、とも言えるような、感情の見えないエメラルドグリーンの目で、シンを真っ直ぐ見つめてるアスラン。
 シンの手が震えているのは、怒り?それとも、何なのだろう?
「マユの痛みも!父さんや母さんの気持ちも!…オレの気持ちも!みんな無駄だったって言うのかよ…!」
「…」
「それを、無駄だって言うなら…。オレは…、今まで、何をしてきたんだよ…っ!」
「シン…!」
 最後はもう、完全に悲鳴で。シンはアスランに掴み掛かったまま、彼の胸に頭をこすりつけるようにして、泣き崩れた。何て言って良いのか、正直わからなくって、あたしは無言でシンの肩を支える。
 すっ、とアスランは手を伸ばし、嗚咽を上げるシンの背を、ぽん、と軽く叩く。ごく親しげに、さっき戦っていた時の鋭さなんて微塵も感じさせない、気を許した様子で。
「無駄じゃないさ」
 嬉しいような、泣きたいような、そんな顔の彼は、きっぱりとそう言った。
「無駄なんかじゃない」
「でも…!」
「考えないことに、意味はない。経験しないことに、本物の答えは出せない。少なくとも、俺は…そう思う。お前は、悩んだだろう?答えは出せなくても、このままじゃ駄目なんだってことに、気付いたんだろう?
 …俺だって、偉そうなことを言える立場じゃないが、たぶん、そういうことなんだと思う」
 微笑すら浮かべながら、アスランがそう言うと、う、と一つ呻いて、シンはずるずるっとくずおれた。まだまだ枯れない涙が、次から次へと溢れて粒になって、ヘルメットの中をふわふわ漂う。
 …そうだね。ねぇ、シン。あんたも、きっと、わかってはいるんだよね。あたしと同じに。でも、それを口にするのは恐い。間違いを認めるのは辛い。弱さをさらすことだから。
 だからこそ、その気持ちを超えていかなくちゃならないのかもね。
「…あなたは、このままオーブに戻られるんですか?」
 座り込んだシンの前で膝をついたアスランが、あたしの問いに顔を上げる。そこに浮かんでいる表情に、あたしはそれがいかに愚問だったってことがわかってしまった。
「ああ。やっぱり俺は、あの国を信じてるから」
「…アスハ代表のことも?」
「…ああ」
 返事とともに、彼の顔が一気に綻んで、微笑みが広がる。それを表現するなら、なんて言えばいいんだろう。
 そう。きっと、絶対の信頼と愛しさ。
 シンをあたしに託して、アスランはふわりと立ち上がる。少し前までシンの勢いにも負けちゃいそうだったこの人は、今はもうぴしっと背を伸ばし、彼の望む世界を見つめている。正直に言って、その姿は、少し羨ましかった。
 まだ顔を上げないシンを心配そうに見ているアスランを見て、あたしの中で一つの答えが頭をもたげる。…これは、いいかも知れない。まだぐちゃぐちゃで、纏まらなくて、どうしていいのかわからない気持ちだけど。
 これなら、あたしの中にも、あたしの望むものが見えるかも知れない。
 そんな、気がした。
「…私が連れて行きます」
「っ!?ルナ!?」
 がばっと身体を起こすシンには構わず、あたしは真っ直ぐアスランを見つめた。
「シンは、私が必ずオーブに連れて行きます。…だから、私も、お話をさせて頂いていいですか?」
 貴方や、アスハ代表と。
 アスランは、あたしの申し出にびっくりしたようで。エメラルドグリーンの瞳を、しぱしぱと瞬かせたが、すぐに表情を崩して頷いた。
「…勿論だ。カガリも、きっと喜ぶ」
「ルナ!」
「いいじゃない、シン。あんたも、本当は行きたいんでしょ?」
「っ、でも…!」
「あたしも、行きたいの。もう一度、ちゃんと行ってみたい」
 眉間に皺を寄せて、すっごい嫌そうな顔をしているシンに、あたしはにっこり笑い掛けた。
「あんたの生まれた国、アスランの帰る国…。この戦いで、勝った国」
 ね、とシンを見ると、彼はすっかりむくれてそっぽを向いている。
「もう、シンってば」
 つられて、あたしも頬を膨らます。いつもと変わらないような、あたしとシンの様子に、アスランが吹き出した。
「あははは、ルナマリアはカガリと気が合うな、きっと」
「そうですか?」
 首を傾げつつ、以前ミネルバに乗った時の彼女の姿を思い出す。結構神経質そうで、脆い感じの人だった気がするけど?あたし、そんなイメージかしら?
 特に、この戦争で彼女とオーブに抱いてた憧れが、ぐらっと崩れたあたしが、記憶を探っているのがわかったのか、アスランは苦笑して言い訳するように彼女の弁解をした。
「俺も、ちょうど今のシンみたいに、周りがまったく見えてない時があったよ。それを変えてくれたのが、彼女だ。ルナマリアみたいに、呆れたり、怒ったりしてくれながら、心配してくれて。
 それに、本当のカガリは、物凄くお転婆で、じゃじゃ馬なやつだよ」
「へぇ…。…て、ことは何ですか。あたしもじゃじゃ馬ってことですか」
「あ、いや。けなしてるんじゃない。褒め言葉だよ」
 答える彼はあたしの剣幕にたじたじになりながらも、その言い方はすごく優しい。
 前にも、もしかして、って思ったけど。まさか、やっぱり、そうなの?
 何て聞こうか言葉を選んでいるうちに、アスランはすくっと立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ行かないと。気をつけてな」
 ぽんっと、あたしとシンの肩を叩き、彼はあたしにちらりと笑い掛ける。こいつを頼むな、とばかりに。
 そうして、彼は今度こそ振り返らずにジャスティスの元に歩いてく。漆黒の宇宙の先に向かう彼の背に、あたしは声を張り上げた。
「アスランも!…気をつけて」
 コックピットに乗り込む寸前、くるりと振り返った彼の表情は遠くて見えなかったけれど。
 あたしの耳元に、いつもの彼の、低い声が届いた。
「…ありがとう。また、話せる時を楽しみにしてるよ」
 彼は、ジャスティスに乗り込むと、地を蹴って暗い宇宙の向こうに消えていった。





「…さ、行こっか、シン」
 ジャスティスの姿が見えなくなって、あたしは明るく切り出した。戦闘はとっくに終わってるし、ミネルバからの助けは来る筈ないし。早く帰らなきゃ、戦死扱いになっちゃう。
 立ち上がると、シンの首根っこを引っつかんでインパルスまで引きずってく。とは言っても、宇宙空間じゃ大した手間でもないけどね。シートに座って、横にぶすっとしたシンを乗せて、インパルスで飛び立った。
 操縦桿を握って、横目でシンの膨れっ面を盗み見る。
「もう、いつまでいじけてるのよ」
「…別に、いじけてなんか」
「いじけてるじゃないの」
 覆い被さるようなあたしの反論に、シンは閉口しちゃったみたい。だってしょうがないじゃない。そういう風にしか見えないんだもの。
 まあ、あたしはそれが悪いだなんて、思ってないけどね。
 オーブ軍も、ザフトも退いた後の空域には、モビルスーツや戦艦の残骸がぷかぷかふわふわ浮いている。その隙間を縫うようにして、あたしはインパルスを操縦して進んだ。
「…オーブに行くの、楽しみだね」
 この戦いの結末がどうなるかは、全然わからないし、あたし達が自由にオーブに行ける日が来るかどうかもわからないけれど。
 返事のないシンを、促すようにもう一度尋ねる。
「楽しみでしょ、シン?」
 名前を呼ばれ、カーネリアンの瞳でどこともない虚空をぼんやりと眺めていたシンが、びくっと身を竦ませて、あたしの顔を真正面から見つめる。まるで、今始めてあたしのことを見た、みたいな顔しちゃって。何よ、それは。失礼しちゃうわ。
 憤慨したあたしの気持ちを知ってか知らずか、一瞬困ったような顔をして。
 シンは、最後に一つ、小さく笑った。
「…うん。…楽しみだ」
 たぶん、シンだって、今もわからないことだらけなんだろうけど。




 その日初めて見た、あいつの笑みの透明さを、あたしは一生忘れなかった。









50話見て、妹と、「こんなシーンもあったら良かったねー」と話してたネタです。

私が思ったことと、言いたいことは、大体詰まってると思われます…。たぶん。
取り敢えずシンは、カガリと和解はしないまでも、一度オーブに帰って、気持ちの整理をした方がいいと思いましたので。それについてってあげるのは、やっぱりルナでしょう。
でも、シンルナは最終的にはくっつかないと思いますが。

あと、女の子同士の仲が良いのも大好きなので、カガリ+ルナとか考えると楽しくてしようがありませんv(笑)

2005.10.26