街灯の明かりすらも消えた真夜中、互いに思わぬ人物と出くわした。



「あっれー、リフィルさま、こんなとこで何してんの?」
月明かりの下の大通りを、闇に慣れた目で歩いてきたゼロスは、人影に気付いて足を止めた。
煉瓦造りの宿の前に見えるのは、夜目にも輝く銀髪。



一方のリフィルも、突然掛けられた声にかなり驚いて顔を上げた。
「ゼロス?貴方、まだ帰ってなかったの?」
もう一度言うと、真夜中である。
街は降るような沈黙に包まれ、犬の声さえ聞こえない。
勿忘草の瞳を真ん丸に見開いて、リフィルは素っ頓狂な声を上げた。
「いやぁ、色々ありまして」
甘い笑顔で誤魔化そうと、ゼロスがにっこり微笑む。端正な顔を縁取る、燃える赤毛がふわりと揺れた。
だが当然、リフィル女史がその笑顔に乗せられる訳もなく。
「あ、そ。別に止めはしませんけど、女遊びはほどほどになさいね」
逆に冷ややかな台詞を返されてしまう。
「バレバレっすか」
耳の後ろをかいて、ゼロスは苦笑した。すたすたと地面を踏みしめて、彼女の隣に並ぶ。
この人の穏やかな声にたしなめられるのは嫌いではないと、最近気付いてしまった。
「ロイド達じゃないんだから」
呆れた口調でリフィルが嘆息するのを、ほとんど完全な闇に近い中、零れた吐息で知る。
「センセの方こそ。何してたの、こんな真夜中に。いっくら田舎町って言ったって、危ないぜ?」
「そうね。貴方みたいな人もいることだしね」
朗らかな声で答える台詞に、ゼロスの眉の端がぴくっと上がった。
「そんなこと言うと、本当に襲っちゃうよ」
「残念ね。遠慮なく返り討ちにさせて頂くわ」
きらりん、と勿忘草の瞳が剣呑に輝く。乾いた笑い声で、ゼロスは両手を上げた。
まったくこの人は、そこらのお嬢様とは訳が違う。
「すみません、冗談です…」
白旗は、いともあっさり上げられた。




「で、リフィルセンセはどうしてこんな時間に、こんなところに?」
訝しげに訊ねてくるゼロスに、リフィルは手元のファイルを持ち上げて見せる。
「ああ。星の観察をしてたのよ」
そこには、一枚の天文図が挟まっていた。一目見て、違和感を覚え、首を傾げる。
だが、すぐにその理由に思い当たった。感嘆し、両手をぽんと打ち鳴らす。
「それ、シルヴァラントの?」
「ええ。でも、それほど変わらないみたいね」
「へぇー。あ、これ、そんな風に見えるのか。面白いな」
意外にもゼロスは、こういう知識に疎くないらしい。
リフィルの手元の星図をじーっと覗き込んでは、しきりに感心している。
「神子って、こんなことまで覚えなきゃならないのね」
「そうですよー。神子はテセアラの申し子だからねー。自分の世界のことは何でも知って
なきゃならないらしいよ」
らしい、なんて自分の事じゃないかと、リフィルは思ったが特に口に出しはしなかった。
そうやって、へらへら笑いで自分を誤魔化したがるゼロスの考えくらい、とっくに読めている。
「あ、もしかして。織姫と牽牛見てた?」
「やっぱり、こっちでも同じ説話があるのね」
嬉しそうに目を細めるリフィルに。ゼロスは、絹糸のような銀髪を見下ろしながら相好を崩した。
「そりゃ、元は同じ世界だし」





中天を、無数の星で形作られた天の川が流れ、その左右には大きく輝く一等星。
街灯の明かりなど一つもない街の中、星明りが路地を照らす。
メルトキオは、夜でも明かりの絶えない街だから。こうやって、深夜にこっそり
屋敷に帰ることが多くても、ここまでの星空は見たことがなかった。
結構綺麗だな。
そっと、内心で呟く。これと言って、美しい景色などに心が動くことの少ない
ゼロスでも、心の底からそう思った。
柄にもなく、じっと天を見上げていると、何となく横顔に視線を感じた。
「でも、貴方には七夕なんて関係なさそうねぇ」
上目遣いのリフィルが、ファイルを両手で持ち、背筋をぴんと伸ばして悪戯っぽく笑う。
「否定はしない。待ってくれてる子だけでも星の数ほどいますから♪」
浮かれた口調で答えると。明らかにリフィルの表情が崩れた。
オンナノコの色んな顔見るのは好きだけど、彼女がらしくない顔をするのはさらに楽しい。
もっと、もっと、と色んな表情を見たくなる。
だから、こんなことまで言ってしまうのかも知れなかった。
げんなりと脱力した声が、すぐ隣で零れた。
「…私には、その気持ちは到底理解出来ないわ」
「そうかな。中々刺激的で楽しいけど」
そんなことを言われたって、肯定出来る訳がない。
リフィルはさらに呆れて、物も言えないようだ。
「じゃあ、リフィルセンセは?織姫と牽牛みたいに、好きな人
と年に一度しか会えなくなっちゃったらどうする?」
「私?」
まさかそんなことを問い返されるとは思っていなかったのだろう。リフィルはきょとんと首を傾げた。
そして、そのまま黙って考え込んだ。期待満面のゼロスの視線を頭上から感じ、少し気まずくなる。



そんなに、楽しみそうに待たなくっても。
「そうねぇ…」
ゼロスの行動がいまいちわからないリフィルは、目線だけでこっそり
彼を見上げながら懸命に思考を巡らせた。
「…少なくとも私だったら、離れ離れにされるようなヘマはしないわ」
共にいるのが楽しくて、仕事が手に付かなくなるなんてことは絶対にしない。
きっぱりと、リフィルが胸を張ると。ゼロスは、にやにや笑って頷いた。
「なるほどね。リフィルさまらしい」
「何、その締まりのない顔は」
疑わしげな色が、リフィルの表情にありありと浮かぶ。短い付き合いだが、
ゼロスがこんな表情をしている時は、何かろくでもないことを考えているのだとわかってきた。
構えて、半歩身を引くリフィルに。あくまで鉄壁の笑顔で、ゼロスは続けた。
「それじゃあ、俺様は、愛想尽かされないように頑張ろうかな」



「…は?」
「だーかーら。愛想尽かされないように、って」
「そうじゃなくてよっ。何で」
「リフィルさまにこんなこと言うのかって?」
余裕綽綽な表情で、ゼロスは笑うと。星明りに輝くプラチナの髪に、
ほんの触れるだけの口付けを落とした。
「そりゃあ、こういう意…っ」
甘い口説き文句は、半ばで呻きに変わった。端正な顔が大きく歪む。
「いったー!!」
「返り討ちにするって言ったでしょう? 馬鹿ねぇ」
悶絶しているゼロスを尻目に、リフィルは彼の腹へクリーンヒットさせた左腕を、優雅に振った。
「そんなに本気でやらなくってもいいじゃないですか…」
涙混じりの声でゼロスがぼやくと、リフィルの声が涼やかに答えた。
「貴方には、これくらいしないと懲りないですからね」
「よくわかってらっしゃる…」
かがんだ背に軽やかな笑い声が降る。それが心地好くて、ゼロスは声に出さずに顔を綻ばせた。




それきり黙りこんだ二人は、並んで星空を仰ぐ。
少し気まずい沈黙が、数分続いた後。かがんだままのゼロスの背に、
ほんの微かな問いが投げられる。
「…さっきの…」
上目遣いに見上げてくる視線をなんとなく居心地悪く感じ。
リフィルは口ごもりながら、ようやく呟いた。
「…嘘、でしょ?」



一瞬の間に、まさかとリフィルが瞠目した瞬間。
大爆笑が、深い闇を切り裂いた。
「あっはははは…! リフィルさま、可愛いー!」
「なっ…」
膝を叩いて、腹を抱え、真夜中と言うこともすっかり忘れたらしいゼロスが、
壊れた玩具のように笑い声を上げる。からかわれたと気付いたリフィルが、
さっと怒りを顔にのぼらせた。
「からかったわね…!」
「だーいじょうぶ、嘘だからさ。そんな心配しないでちょーだい」
るん、とはしゃいだ仕草で誤魔化そうとするゼロスに。
リフィルは渾身の怒りを込めた一撃をプレゼントしてやった。






足音高く宿屋に帰っていく背を見送り、うずくまったゼロスは脂汗の浮かんだ額を右手で拭った。
ブーツのかかとが地面をえぐり、細い肩をいからせて歩み去る。
もしかしたら、このまま宿屋の鍵を閉められてしまうような気もしてきたが、
ゼロスは腰を上げようとはしなかった。夜目にも鮮やかな銀髪が、
宿屋の中に入るまで、じっと見つめ続ける。
ぱたん、と扉が閉まる音が響いた途端、力が抜けたように地面に尻餅をついて座る。
赤毛の先が地面をこすったが、本人は気付いていないのか、両手を後ろに突っ張って
のけぞるように星空を見上げた。




「…さぁて。今のは、果たして嘘かな…?」
リフィルに聞こえる訳がないと、承知の上で。
ゼロスは清々しい顔で、そう呟いた。






真実か嘘か。



それは。




曖昧な嘘。








軽く二週間ほど過ぎましたが七夕です(笑)
ここ最近の私が書くゼロスは、先生に殴られないと気が済まないようです。
どうしてそんなことするかな、アナタは(大笑)

まだ、リフィル先生にその気がない頃のゼロリフィ。
これから段々、先生がゼロスペースに巻き込まれていくって感じでv



2005.7.21