…また、あの歌だわ。


 資料に落としていた目を上げ、視線を窓の外へ巡らせる。午後の日差しが差し込む
窓辺は明るく、白いレースのカーテンと花瓶の中の勿忘草をそよ風がそっと撫ぜる。
 数軒先には小学校がある。歌の主達はそこの子供達だ。ところどころはずれたりするが、
それはご愛嬌だ。立ち上がると台所に行って、湯を沸かす。子供達の歌を聴きながら
休憩にでもしようかと、食器棚の一番下を開けた。貰い物のクッキーを取り出す。
これがまた美味なのだ。
 自然と、微笑が零れた。鼻歌を口ずさみながら支度をしていく。


 窓辺に腰を下ろして、紅茶を片手にクッキーに舌鼓を打つ。
ぱらぱら、と机の上の辞書がめくれて乾いた音を立てた。


  人はただ風の中を 迷いながら歩き続ける
  その胸に遥か空で 呼び掛ける遠い日の歌


 軽快なオルガンが通りに響く。時々はずれる音に、笑みが出た。
「人はただ、風の中を、祈りながら、歩き続ける…」
 共に口ずさむと、視線の先が遠くなった。通りの水溜りを横切る影に、ふと空を仰ぐ。
花瓶の勿忘草より少し淡い、晴れた空の向こうを鳥が滑って行った。
それを、ぼんやりと眺める。
「そろそろ片付けないと駄目ね…」
 室内に目を戻し、そうごちると。子供達の歌声を破る、高い声が飛び込んで来た。
「リフィルせんせー!」
 窓枠から声のした方へ身を出し、リフィルは微笑んだ。
「あら、いらっしゃい」
 窓の下には、一人の少女が満面の笑顔で立っていた。少女と言っても、まだ
四、五才。走って来たのだろう。頬を紅潮させ、息を弾ませていた。
「へへへー。はい、せんせい!」
 少女は声と共に、片手に持っていたものを勢い良く差し出した。窓の外へ、
リフィルの細い指が伸ばされる。少女のふにふにの手に握られた、勿忘草の
花束がリフィルの手に渡った。本当に嬉しそうに相好を崩したリフィルが、
少女の頭を優しく撫でる。
「いつもありがとう」
 少女は撫でられた頭に嬉しそうに触れると、ぷるぷるっと首を横に振った。
「だって約束したもん。ゼロスがいなくなっちゃったら、あたし達みんなで代わりに、
せんせいにお花を届けるんだって!」
 リフィルの顔をそっと見上げながら、少女は熱っぽく語った。こんな小さな子供
でも、自分のことを案じてくれている。リフィルは花束の香りを胸一杯に吸い込んだ。
それは、甘くて、瑞々しい、生きている香りがした。
「せんせい、寂しい?」
 大きな瞳を潤ませて、少女が言う。リフィルは瞳を細めてころころと声を上げて
笑い、今度はわしゃっと少女の頭をかいた。
「一人だったら寂しいかったわ、きっと。でも、みんながいるから、寂しくないわ」
「うんっ。あたしもね、せんせいがいるから寂しくないよ」
 また来るね、と笑い声を残して台風の目のような少女は、あっと言う間に走り去った。
 その背が曲がり角に消えるまで見送って、早速貰った花束を花瓶に挿す。子供達が
持って来る花は、いつもご丁寧に勿忘草。今がちょうど季節だと言うのもあるけれど。
 間違いなく、彼が子供達に教えたのだ。
「本当に、そういうとこだけ細かいんだから」
 リフィルの瞳の色は勿忘草の色に似てると、よくゼロスが言っていたのを思い出す。
光の具合によって、時には紫にも見える、透明な瞳だと。
 しかも、その意味は。
「…私を忘れないで、か」
 勿忘草の瞳に、同じ色の花が影を落とす。ふ、と口の端が上がった。冷めた紅茶を
一気に飲み干し、たん、と床の上に立つ。カップを片手に台所へ行き、さっとすすぐ。
そして再び資料が乱雑に散らばった机に向かった。
 その間も、子供たちの歌声は絶え間なくたゆたっていた。



「…忘れられるわけないでしょう」
 哀しくないなんて、寂しくないなんて言わないけれど。
 貴方が遺したものが、この世界には溢れているから。
 忘れないわ。

 それに。

 すっかりめくられてしまった辞書を閉じて、資料を片手に羽ペンをとる。
群青色のインクの入った壜が、窓から差し込む斜陽に乱反射していた。
 カリカリと、羽ペンが紙をこする音が柔らかく、絶え間なく続いていく。
微笑を浮かべて、懐かしい歌を口ずさみながら。
「その道で、いつの日にか、巡り会う、遠い日の歌…」



BGM by パッヘルベルのカノン




私が書くと、気付けばゼロスがいないとか言うツッコミはなしです。
ED後もED後、ゼロスじいさん(笑)は絶対長生きなんだろうなぁ。
憎まれっ子世にはばかる(笑)
隠居しに行った町で、リフィルは学校の先生、ゼロスは近所の悪ガキ達の親分、
とか妄想しました。

また逢いに来るよ、って言う、ベタな展開大好きです(大笑)



2004.12.1