close your eyes





 こんなことを考えてしまう私は、欲張りで愚かで、本当に馬鹿なのかも知れない。
 それでも、諦められないの。
 手を伸ばすことを止められないの。
 この指の先に見えたものを掴みたい、と。
 朧げな、でも、私の目には、確かにはっきり映った、あの未来の姿を。






「っ!」
 ぱっと目を開けると、飛び込んできたのは、鮮やかな空色と軒の深い茶色。あまりにうららかな光景に、一瞬、現実感が湧かない。
 だが、ゆるゆると溜まっていた息を吐き出すと、ようやく人心地がついた。
(…夢、だよね)
 安心したものの、まだ頬が固い。
 これ以上ないくらい、最悪の夢見だった。
 縁側に寝っ転がって、軒の梁と青空を見上げたまま、望美はゆっくり深呼吸をした。心なしか、動悸が早い。顔の上に腕を乗せて、眩しい日差しを遮るのと同時に、いつのまにか滲んでいた涙もこっそりと袖で拭った。
(…あの夢、最近は見なくなってたんだけどな…)
 あの夢とは、望美が初めてこの「京」に来た時空で体験した出来事のことだ。
 一人、また一人と仲間が失われて行く、あの忘れることの出来ない日々。
 白龍の逆鱗を手に入れて、次の時空をやり直すようになってからも、望美は何度も、あの頃の夢を見た。
 それでも最近は、少しずつ記憶が薄れていくにつれて、あまり見なくなっていたのだったが、今日の夢はやけにリアルだった。
 どのようにして、彼女の世界が崩れていったのか。
 まざまざと、その過程を思い知らされる。
 望美は、きつく奥歯を噛みしめる。
 今更になってあの夢を見た理由は、なんとなくわかる。わかるけれど、それを自覚したところで何かが変わるのかと言われたら、ノーだ。
 むしろ、これからどうしていいのかすらわからなくなるというのに…。
 ぐるぐる巡る考え事で、頭が破裂しそうになった瞬間。彼女の思い詰めた感情とはあまりに不釣合いな、のんびりした声が、頭のてっぺんの方から、ひょいっと無造作に投げられた。
「おや、お目覚めですか」
 ぱち、と望美は目を見開く。
 瞬く間に、考え事がどこかに消し飛ぶ。
 何故、あの人の声が?
 半信半疑で、嫌な汗をかきながら、むくりと起き上がって後ろを向く。案の定そこにいたのは、足の間に薬研を挟んで、ごりごりと薬草をすり潰している、薬師だった。
「弁慶さん…? どうして、ここに?」
 望美や朔、白龍が普段使っているのは、梶原邸の東の対である。男性と女性が同じ対にいるのは基本的に歓迎されないし、朔も緊急時以外は東の対に男性は入れないから、望美が東の対で、屋敷の主の景時以外の男を見るのは、非常に珍しいことだった。
「何故、とお聞きしたいのは、僕の方なんですけどね」
 薬研を動かす手を止め、弁慶はいつも通り、相変わらずの笑顔の鉄仮面で微笑んだ。外では常に身に纏っている黒い法衣を脱いでいたので、長く伸ばした髪が背中に垂れているのが見える。
「え?」
「こちらは西の対の方ですよ」
「…ええ!?」
 想像もしていなかった言葉に驚いて、慌てて周囲を見渡すと、確かにそこは、見慣れた東の対からの景色ではなかった。
 たちまち、身体の力が抜ける。
「朔には黙ってて下さい…」
 嫁入り前の女の子が、一人で男性が住んでいる対に入ったなんて朔に知られたら、間違いなく大目玉を食わされる。
 どうして西の対なんかに入ったのだろう。いくら今日があまりに良いお天気で、かなりうとうとしていたとは言え、まさか西の対に入り込んだことに気付かないとは。がっくり肩を落としつつ望美が呟くと、弁慶はくすくすと笑って、望美の鳶色の瞳を覗き込んだ。
「わかっていますよ。通りかかったのが僕だけで良かったですね」
 いけしゃあしゃあと、そんなことを言ってのける弁慶に、望美はぼそりと、思わず反論する。
「どの口がものを言ってるんですか…」
 ヒノエくんが聞いたら怒りますよ、などと危うく言い掛け、望美ははっと口をつぐんだ。今は、望美がこの世界にやって来たばかりの春の京だ。今の自分は、まだヒノエに会ってはいないではないか。
(…駄目だ、今日は)
 これは間違いなく夢見が悪かったせいだと思うが、同時に、寝起きによりによって弁慶になど会うからだ、と望美は半ばヤケ気味に思った。
「おや、会って間もない方にまでそう言われてしまうとはね。どこでそんな話を?」
 弁慶はのんべんくらりと反論をしたが、相変わらずの鉄仮面の笑顔に、望美は改めてそのポーカーフェイスぶりに感心してしまう。
 一筋縄ではいかない相手というのは、出会った頃から感じていたものの、この笑顔の下で、あれだけ色々な肚の内を隠していようとは。
「えっ、と、いえ。そんな感じの噂を小耳に挟んだりしたので…」
 慌てて取り繕うが、とても誰かさんのポーカーフェイスのようにはいかない。望美は早々に話題を変えることにした。
 縁側に、ずらりと広げてある薬草と、薬研の中身を覗き込む。
「そういえば、何を作っているんですか?」
 戦いの前に、彼が血止めや化膿止めの薬を作っているところは、望美もよく見ているし、何度もお世話になっている。が、今、彼が作っているのはそのどちらでもない。見たこともない薬草ばかりだ。
 また、五条大橋の下の人々に持って行くのだろうかと思いつつ尋ねると、意外な返事が返って来た。
「ああ、これは朔殿に作っているんですよ」
「朔に?」
「今朝から、月のもので臥せっているでしょう?」
 きょとん、と望美が目を丸くすると、弁慶は瞳を細めて頷いた。
 望美が彼らと過ごした時間は、すでにかなりのものになる。朔のことも、弁慶のことも、よく知っているつもりだったが、彼とこんな話をするのは初めてだ。
「女性は元々、自然の気に敏感なものですが、貴女がた龍神の神子は、その中でも特に、龍脈の気に影響を受けます。普段はその龍脈の力が貴女がたの力の源にもなりますが、月のものの時は、身体の中の陰陽の均衡が崩れますから、龍脈の気が、逆に身体の負担になるようなんですよ」
 それで、陰陽の均衡を整える効果のある、特製の薬湯を作っているんです、と再び薬研を動かしながら、弁慶は答えた。
 そういえば、朔はいつも月のものの時は辛そうにして、数日間臥せていたっけ、と望美はぼんやり思い出す。
「でも私、そんなに月のものは重くないですよ」
 現代でもそれほど生理痛に悩まされたことのない望美は、首を傾げながら言う。京に来てからも、慣れない環境に戸惑うことはあれど、寝込んでしまうような症状に苦しんだことはない。
「おそらく、望美さんの場合は、白龍が無意識のうちに貴女を守っているからだと思います。龍脈の気が、直接貴女に影響を与えないように、ね」
 言われて、望美ははたと気付いた。
 朔だけが、こうして月のものに苦しんでいる理由に。
「そうですよね。朔を守ってくれる黒龍は、もういないんですよね…」
 黒龍を失ったことを告白してくれた時の朔の嘆きを思い出し、望美は憂いを含んだ鳶色の瞳を軽く伏せる。普段の気丈な朔からは、想像も出来ない怒り方、泣き方。それを思い出すと、望美の胸も苦しくなる。
 そして、同時に思う。皆、朔と同じように、それぞれの重いものを背負っている。
 どうしたら、皆の中からそんな哀しみをすべて消し去れるのだろう、と思わず自問自答していると、目の前で、弁慶がくすりと笑った気配がする。
 望美は、訝しげにその笑顔に向き直った。
「どうかしたんですか?」
 不信感が滲み出ている望美の口調に、弁慶は、いえ、と断ってから口を開いた。
「この世界に来て、まだ一月も経っていない貴女に、朔殿がそんなことまで話されているとは思いませんでしたので。朔殿に、そんなご友人が出来たとは、きっと景時も安心しているでしょうね」
 穏やかに、微笑を浮かべながら弁慶が言う。
 その時、これは彼の方便だな、と気付くことが出来たのは、間違いなく、前に辿った運命で、弁慶の本当の顔を見ていたからだろう。
 勿論、彼が今の台詞のように思っているのも、決して嘘ではないのだろうが、そこはあの弁慶の性格だ。彼が黒龍に対してしたこと、その後悔、そして自分の罪を晴らすためなら、何でもやり遂げるであろう、呆れるほどの頑固さを総合的に鑑みれば。
 やっぱり、彼でも後悔しているのだな、と思う。
「やっぱり、弁慶さんでも、朔に負い目ってあるんですね」
 自分の言った台詞に驚きはしなかった。それは、前から漠然と思っていたことではあったし、平生、物腰は柔らかいけれど、意外と他人には優しくないこの男が、割合、朔には好意的だと感じていたからだ。そして、この男が朔に好意的になる理由といったら、それくらいしか思いつかないではないか。望美は、すごく納得した。
 しかし、返ってきた返事は違った。
「望美さん?」
 相変わらず、彼は声を荒げるような真似はしない。静かに望美の名を呼んだ。しかし、訝しがる口調の底に見える深い淵に、気付かないほど、望美は馬鹿ではなかった。
 刹那、ざっと血の気が引く。
 私は、今、なんて言った?
 頭の中を、ひどくゆっくり、さっきの自分の声が流れていく。
『やっぱり、弁慶さんでも、朔に負い目ってあるんですね』
 なんて、そんなこと。目の前の弁慶にとっては、今この場で、望美が言えるはずのない台詞ではないか。
 望美は咄嗟に目の前の男から視線を逸らした。これ以上、自ら墓穴を掘ることは出来ない。
「すみません…。今の、忘れて下さいっ」
 そう叫ぶなり、望美はぱっと立ち上がって、東の対の方へ走り出した。
「望美さん」
 脇を足早にすり抜けていく望美の後ろ姿に、弁慶の声が掛かる。だが望美は決して振り返らず、もつれる足を必死に動かしながら、一目散に東の対へ向かった。あっという間に東の対の縁側に辿り着き、望美はようやく足を止めた。柱にすがりつくと、急に足の力が抜けて、ずるずるとそこに座り込む。
 信じられない。
 荒い呼吸の下で、その言葉が頭の中をぐるぐる回る。いくら、あんな夢を見て寝覚めが悪かったとはいえ、よりによって人一倍疑り深く、勘の鋭い弁慶の前で、あんな無用心なことを言ってしまうとは。
 自己嫌悪で、ばらばらになってしまいたい気分だった。
 頭を柱にこすりつけ、俯き、呟く。
「……泣いてる場合じゃないでしょ、私」
 言葉と同時に、するり、と頬を一筋涙が流れる。
「まだ、この運命は始まったばっかりなんだから。今度こそ、絶対、皆を助けるんだから」
 でなければ、なんのために、また運命を超えてきたのかわからない。
 幾度も、幾度も。その決意が挫けるほどに。
 これ以上涙が零れてしまわないように、歯を食いしばって、望美は柱にしがみつくと、押し殺して掠れた声で、小さく叫ぶ。
「絶対に、皆で幸せになるんだから…!」





 わかってる。
 私はたぶん、無理なことを言っている。
 無理なことを願っている。
 でも、私は見てしまったの。揺れる時空の狭間の向こうに、皆が笑っている未来があることを。皆が、心から幸せを感じている未来があることを。
 もう、あの未来以外は望めない。
 何十回、何百回やり直しても、あの未来が欲しい。
 その気持ちだけは変わらないのに。





 頬にくすぐったさを感じて、のろのろとそこに触れると、サテンのような触り心地のそれは、小さな桜の花びらだった。
 京の春は変わらない。
 いつもいつも、うららかで、暖かくて、綺麗な桜が咲いている。
 取り残されているのは、いつも、自分だけだ。
 早く、皆と同じ、唯一つの時空を生きたい。
 けれど、望みは捨てられない。
 柱に寄り掛かって、足を無造作に投げ出すと、望美はゆっくり、瞳を閉じた。













 遥か3のこういうネタって、もう既に書いてる方いっぱいいらっしゃいそうですが。
 ある程度の人数を落とした後、全員を救う方法を探す望美の話のつもりでネタを捻ってます。もう、私なりの大団円ってことで。


 望美は猪突猛進で明るくて、少し抜けててお馬鹿なところが可愛い子ですが、相当うかっつー(迂闊)だと思うんですよね(笑)
 どうしてそこでそんなことを言っちゃうかな、とか、今はそれをするとこじゃないでしょうが、って思うことがいっぱいで(笑)
 そんな望美がじたばたもがいて幸せになるお話が書きたいワケです。
 ついでに、屈折率が異常に高すぎて、性格もひねくれてる弁慶さんをメインストーリーに絡ませたら楽しいだろうなと、そういうとこです(笑)この人絶対茨道好きそう(笑)ドSはドMの裏返しですから。自ら突っ込んでくの。
 そんなドSMの人が、自分が滅ぼしたも同然の黒龍を好きだった朔を、気にならないワケがないと思うのですよ(笑/あ、恋愛感情は抜きでですよ)

2007.4.15