羽根





 昔、雀の雛を拾ったことがあります。
 巣から落ちたのでしょうか。
 羽根が折れて、小さく震えて。



 …雛は、数日後に死んでしまいました。
 声の限りに、親を呼び続け、枯れたように小さくなって。
 最後まで、鳴き続けていました。



 その、か細い声が嗄れるまで。







「MAKUBEX? 起きていますか?」
 朔羅が、MAKUBEXの私室の扉をノックした。くぐもった音が、暗い室内に響き渡る。ゴミゴミしたアジトの一番奥、がっしりと重い金属の扉がMAKUBEXの私室だ。
 コンコン。もう一度、ノックして反応を待つ。だが、やはり返答はなかった。
 いぶかしみ、扉の手前で逡巡していると。不意に、背後から明るい声が掛けられた。
「どないしましたん? 朔羅ハン?」
「ああ、笑師…」
 いつでも明朗な関西系の青年が、首を傾げて寄って来た。その裏表のない笑顔に、朔羅は微笑して答える。
「MAKUBEXの返事がなくって」
 いつもだったら、すぐに返答があるのだが。扉を指差し、困ったように眉を寄せる朔羅に、笑師は笑って並んだ。
「まだ寝てるんやありまへん?」
「そうね…。寝てるだけだったらいいんだけど、もし…」
「そうですな…」
 顔を曇らせる朔羅の顔を見下ろし、笑師はぽつりと呟いた。
 雷帝が去った後の無限城では、残った者達が寄り集まって一応の組織が出来ていた。大して頭数も揃わない、ぎりぎりの戦い。だが、以前のVOLTSのメンバーを中核にして、何とか現在まで生き延びている。
 その、崩壊しかけた組織を率いているのが、わずか12歳の少年だと言うことは有名な話である。元VOLTS四天王である、無限の知能を秘めた無限城の申し子。雷帝のいない無限城をまがりなりにも率いて、ロウアータウンを治める少年王。
 そんな厳しい状況の中、メンバーの誰より早起きして、朝の食事を作るのが朔羅の日課だ。部屋の中は、朔羅の作った朝食の匂いで満たされている。もうすぐ他のメンバーも起きて来るだろう。
「…まぁ、もしもMAKUBEXがこのまま消えてしもうても、ワイは責めへんよ」
 弾かれたように、朔羅は顔を上げる。MAKUBEXの私室の扉をじっと見つめて、ひどく真剣な顔で言い吐いた笑師の白い横顔に目をやると、朔羅は苦笑してゆるゆると頭(かぶり)を振った。
 普段見たこともない笑師の表情に、彼の無言の台詞は伝わった。
「…そうね、誰だって、逃げ出したくなるもの」
 わずか12歳の少年の両肩に乗っているものは、あまりにも大きい。無限城の下層階に住む全ての人々の生活が、彼にかかっていると言っても良い。
 けれど、誰が他に、それを引き受けてくれると言うのだろう。
「…朔羅ハンも?」
 ゆるく首を振って、ピリピリしたものを振り払った笑師が、片頬を歪めて薄く笑った。
「さぁ、どうかしらね。花月の後を追って、出て行っちゃおうかしら」
 くるりと身を翻し、鋼の扉に寄り掛かった朔羅は、両手を伸ばしつつ精一杯さばさばと言った。
 わざと明るく言う朔羅に、笑師もにかりと口を開けた。彼の開けっぴろげな笑顔は清々しくて、いつでも空気を軽くする。
「羨ましいですなァ、花月ハン。ワイも是非お供したいっ!」
「じゃあ、三人旅にする?私と、花月と、笑師とで」
 二人して、この奇妙な三人組を想像し、同時に吹き出す。
 切れる美貌の花月に、底抜けに明るい笑師、穏やかな美人の朔羅。傍から見たら、かなり妙な取り合わせに違いない。
 でも、それはそれで楽しい状況だろう。ひとしきりそれで笑った後、二人は再び口を閉じた。
 数瞬後、先に口を切ったのは笑師だった。頭の後ろで組んでいた腕を解き、すらりと引き締まった身体をくるりと翻す。
「…せやけど、ホンマに、好きに生きたらええと思いますで」
「笑師…」
 彼の一族のほとんどは、女子供だという。まともに戦えるのは、笑師ぐらいしかいなくて。もしも彼が無限城を去ったら、守るもののない彼の一族は、あっという間に滅ぼされるだろう。情が深く、優しい笑師のことだ。全てを捨てて、無限城を去ることなど出来ないだろう。
 後ろを向きながら、ひらりと右手を振る。同時に投げた言葉に、彼の感情の全てが込められていたような気がした。
「MAKUBEX、もう起きてるんと違います?」
 ゆっくりと歩み去る笑師の背に見える、あきらめとも自棄とも、ほんのわずかな希望とも言えないものが、朔羅の胸にも重い影を落とした。





 ロウアータウンには、もはや明るい希望はない。
 再び戻った混乱と、血煙と、諦めと、意味を持たない希望だけが、この街を染めている。
 衰退していくだけのこの都市を治めるのは、年端も行かぬ少年王。






 物思いを振り払って笑師の背中から視線をはがすと、朔羅は再びMAKUBEXの私室の扉に向き直った。
「…MAKUBEX? 朝食が出来ましたよ」
 コン。再びノックをする。返答はない。扉を叩いた右手を上げたまま、朔羅は困って固まった。
「MAKUBEX?…入りますよ?」
 朔羅はそろそろと扉を押し開けた。途端に、微かな唸り声が耳に届く。足を踏み入れると、その唸り声は、全身にまとわりついてくるかのよう。暗い室内の中で、幾十、幾百ものディスプレイが仄かな燐光を放っている。
 足の踏み場もないほどのコードと部品の欠片を超えた向こうには、一人の少年が横になっていた。折り重なるモニターと、コンピュータのガラクタの山の中、半分うつ伏せになって、その山に埋もれていくように。
 毛布にくるまったMAKUBEXの白い髪が、周りのモニターの明かり、白青、蛍光緑、オレンジ、と様々に染まる。扉から数歩進んだところで朔羅は立ち止まり、もう一度声を掛けた。
「MAKUBEX?どうかしたんですか?」
 掛ける声にも気付かないほど疲れているのなら、このまま休ませてやりたい。放っておけば自らの身も省みずに立ち止まらない彼に、そう思う。けれど、万が一体調が悪いのだったら、放っておくわけにもいかないのは事実。
 朔羅は胸の前で指を組むと、コンピュータの山に立ち向って行った。踏んで壊さないように、注意深く部品を避けながらMAKUBEXの横に歩み寄る。どうしてもコンピュータを蹴飛ばしてしまって、がしゃんと鳴るがMAKUBEXは目を覚まさなかった。
 毛布に埋もれた横顔は、ひどく穏やかで、あどけなくて。彼が、わずか12歳にしかならないのだと、如実に思い知らされる。けれど、その顔が青を通り越して白くなっているのは、ディスプレイの明かりのせいだけだろうか。
 頭の横に腰を下ろして、朔羅は彼の前髪をちょっとかき上げた。細い髪が、朔羅の指の中できらきらと光る。触れられたのを感じて、MAKUBEXは身動ぎした。毛布の端をきっちり掴み、さらにくるんと丸まり込む。
「まぁ…」
 もういっそ、このまま寝かしておいてやろうかと朔羅が苦笑した瞬間、寝ぼけたMAKUBEXの口からころりと寝言が転がり出る。
「ん…、銀、次さん…」
 決して、想像していなかった言葉ではない。
 けれど、柔らかい微笑がすうっと顔に張り付いた。伸ばしていた指を握り締めて、血が滲むほどに唇を噛む。





 まだ、忘れられる訳がないのだ。
 あれほど愛し、望み、頼り、縋った相手のことを。



 どうして、簡単に忘れてしまえるだろうか。





 額に触れてやると、眉間のしわが少し緩む。表情が優しくなったのを見て、朔羅はわずかに安心した。
 朔羅とて忘れてしまえる訳はない。自分達を置いて出て行った花月のことを。風鳥院宗家が滅びた日から、生死を共にした、仲間とも家族とも言える男が、彼女達姉弟を置いて行った。
 その事実を。
 花月が去るべきだったことは理解している。頭では、それがよかったのだと認めているけれど。中々、中身はついていかないものだ。朔羅ですらそうなのだから、いかにMAKUBEXが大人びた少年だとしても、そう納得出来ることではないだろう。






 巣から落ちた雛は、声の限りに親を呼ぶ。
 折れた羽根を精一杯伸ばし、小さな体を天に起こす。
 流れる血にも構わずに。
 零れる涙にも構わずに。
 その声が嗄れるまで。
 その、命が嗄れるまで。




「…ねぇ、MAKUBEX…。忘れないで、私達がいることを」
 ようく目を凝らすと、MAKUBEXの頬にはうっすらと涙の後が。
 彼は今、雷帝の代わりとなってロウアータウンを守り抜かなければならない。それには、恐怖と秩序と冷徹さとが必要で。
 どんなに泣きたいと心が望んでも、彼の頭脳がそれを許しはしない。
 そんな重圧から、MAKUBEXを解放してやることは、いかな朔羅でも無理なこと。
 だからせめて。





 あなたが天使でも。
 あなたが悪魔でも。
 傷ついた羽根を癒せなくても、零れた涙を拭えなくても。
 私たちでは、あなたのその瞳に映らないとわかっていても。
 抱き締めて、傍にいることは出来るから。
 いつまでも傍にいるから。




 その、幼い声が嗄れるまで。






 眉間にしわを寄せてMAKUBEXの横顔を見ていると、重い瞼をこじ開けて、アクアマリンの瞳がのぞいた。その瞳の中に、心配そうな朔羅の姿が映って焦点が合う。
 半ば寝惚けた、とろんとした声が朔羅の名を呼んだ。
「朔、羅…?」
「勝手に入ってすみません、MAKUBEX。返事がなくて、心配になったものですから…」
 肘をついて上半身を起こし、MAKUBEXはぼんやりする頭を振って覚醒を促す。見慣れた、ゴミゴミした部屋の中に、亜麻色の髪を持つ和風美人が、膝を揃えて困ったように微笑みながらMAKUBEXを覗き込んでいた。
 ほとんど誰も入れたことのない私室に座っている彼女の輪郭が、淡い光を纏っているように見える。
「朝御飯、出来てますよ」
 MAKUBEXが何ともないようなのにほっとして、立ち上がりながらそういう声は、ひどく優しいけれど。たった今まで夢の中で感じていた声は、この人ではなかった気がする。
 ガラクタを器用に避けて、部屋を横切る朔羅の、すらりと高い後姿を見ていると、つい我慢出来なくて口が開いた。
「…朔羅、…僕、何か言った?」
 扉に手を掛け、ぐいっと引いた瞬間にそう尋ねられ。朔羅はぴく、と立ち止まった。振り返る仕草がいやに緩慢に見えるのは気のせいだろうか。桜色のショールがふわりと揺れ、朔羅の鳶色の瞳が真っ直ぐにMAKUBEXの瞳を射抜いた。
 だが、彼女は普段と変わらぬ笑みで、首を横に振る。
「…いいえ。特に何も?」
「そう…か。…なら、いいんだ。ありがとう、すぐ行く」
「…はい」
 震える声には気付いていない振りをして、優しい笑顔のままで後ろ手に扉を閉める。こちらの広間の方に戻って来ると、ふわりと漂う朝食の匂いが鼻と腹を刺激した。




「…本当に、これでいいのかしらね…」
 腹に響く音で閉まった扉に、軽く背を預けて、朔羅は一人ごちる。
 MAKUBEXの痛みに背を向けて、舐めるように傷を癒して。それで、何処に進めるというのだろう。傷はいつまでも塞がらず、彼は新たな傷を負っていくばかりだというのに。
 けれど、彼が心の底で望んでいるのが自分たちではない以上、どうして踏み込むことが出来るだろう。
 顎を上げて天井を仰ぎ、宙に溜め息を放り投げた。仰いだ眉間に刻まれたしわは、彼の苦悩の分だけ消えることはない。
 それでも。自分たちは、彼について行くことを決めた。何があっても、ここを離れないとお互いに誓った。その気持ちに偽りはないから。







「…絶対に。最後まで、お供しますよ」
 起き出した仲間達の気配を感じながら囁くと、朔羅は美しい鳶色の瞳を微かに眇めて、きびきびした足取りで仲間達のもとに歩いて行った。












■ようやく出来ました…。えらい難産だった;
 山口裕加里さんの「羽根」があまりにも朔羅→MAKUBEXで、嬉しくて嬉しくてこうなりました。
 お聴きになる機会があれば是非、と言いたいところですが、あれはほんっとにレアなので中々見つからないでしょうね…。カラオケにも入ってないし。
 でも、機会がありましたら是非。マク朔好き様には堪らないと思います(笑)


 姉さん+笑師も書きたかったので、長くなっちゃったんですね、きっと。
 銀ちゃんや花月さんが去った後の、残され組はかなーり苦労したんだろうなぁ。ロウアータウンの状況とか、自分たちの気持ちの処理とか。そういう過程で、新生VOLTSの皆の仲が深まってたりすると、こっちとしては妄想のし甲斐がありますよね(笑)
 そういうのもちょっと考えてみたりしましたv
2005.7.28