RAINING





 奪還中に別行動を取る時は、大して気にならない。
 ポカしてないか、大怪我でもしてないか、どっかで道草でも食ってないか、そんなことが気にかかるくらいで。
 毎日毎日一緒にいる分、意外と一人を満喫してたりする。



 だが。
 今日、MAKUBEX達に後ろ髪を引かれる銀次を見た瞬間。
 何かが、どくっと鳴った。




 このまま銀次を置いて行ったら、明日の朝、あいつはちゃんと戻って来るのか?
 …あの、俺たちの城に。





「お前らは、なんにも言わなくてもお互いのことがわかっちまう分、言葉にしてないことがたくさんあるんじゃないのか?」
「俺は、別に困ってない」
「そりゃ普段は困らないだろうけどな。こうやって、銀次がいない時はどうするんだ?」
 水を吸って垂れた黒髪の合間から、唯一無二の瞳が波児を見上げる。カウンターの上で握り締められた両の拳が、血の気を失って真っ白になっていた。
「銀次がいれば、お前の本音もあいつが語ってくれるだろう。だが、ここには銀次はいない。…そんな時は、お前が自分で、自分の本音を話さないとな」
 軽い口調で言いながら、波児はかちゃかちゃとコーヒーカップを洗う。そして、濡れたカップを白いナフキンで綺麗に磨き上げた。波児の一連の動作を、焼け切りそうな程見つめていた蛮は、血が滲み出るくらいに噛み締めた唇を、ほんの僅かに戦慄かせながら開く。
「話す必要なんて」
「ない、ってか?」
「…」
 見上げる蛮の目の光が、ほんの少し揺れる。
「…そんなだから、お前らはまだまだガキなんだよ」



 本当は、二人とも己の足でしっかり立っているってことくらい、波児にはよくわかっている。
 蛮の強さを、銀次の優しさを信じて、お互いの未来の為にそっと背中を押し合って。
 それは、お互いに離れていくんじゃなくて。
 共に成長するための行為。



 でも。
 理屈の裏側は。
 思ったようには割り切れない。



 沸騰したお湯を、ミルで挽いたコーヒーに、ゆっくりと注いで行く。くるりと円を描くようにお湯を注ぎ入れ、それを何回か繰り返す。その慣れた仕草は、まるで舞っているようにも見えて、とても美しかった。
「…」
 嗅ぎ慣れている筈のコーヒーの苦さが、鼻と心をくすぐり。
「……恐いさ。スバルの中に、一人でいるのは」
 固く閉じた心を、ほんの少し綻ばせて。ぽつり、と本音が零れた。
「お前ら、傍から見てる方が呆れるくらいに、いつも一緒だからな」
 苦笑う波児に薄い笑みを投げると、蛮は微かに蒼い瞳を伏せた。
「…俺にもあいつにも、他の居場所なんてなかったからだよ」
 無限城の片隅で出会った瞬間、お互いに感じたのは、どうしようもない孤独。



 銀次は。
 仲間を守れば守るほど、己の手を汚して陰を帯び。
 ロウアータウンを解放して行けば行くほど、仲間達の運命を捻じ曲げてしまうと、本能で察し。
 大勢の仲間たちに囲まれながらも、孤独に苛まれ。



 蛮は。
 義兄を己が手で殺し、義妹の笑顔を永遠に失い。
 唯一、生まれて初めて、やっと手に入れることの出来た安穏だったのに。
 その呪われた宿命が授けた孤独を振り払えたと、そう思ったのに。
 宿命の牙は、やはり無情にも孤独の運命を彼の頭上に降らす。



「…銀次は、どうしたって無限城に戻る訳にはいかなかった。俺には、どうしたって帰る場所なんてなかった。そんな俺らが、唯一、自分の居場所だと言えるのは、ゲットバッカーズの相棒としての場所。
 …そこだけだったのさ」
 細いが筋張っていて力強い、蛮の白い指が、濡れた髪の間に差し入れられる。ゆっくりかき上げた黒髪が、ぱら、と額の上に一筋落ちた。
「一人じゃ、Get Backer"s"にはならない―――。それが、俺達の支えだったんだよ」
 吐き捨てるように呟く蛮の瞳が弱々しく光る。一等星の輝きをしていた筈の蒼い双眸には、今は弱々しい六等星の輝きだけが宿っている。
「だが、あいつは昔の場所を取り戻した。何も、Get Backersにこだわらなくても、あいつには受け入れてくれる場所がたくさんある。
 …もう、あのクソ狭いスバルの中で、俺なんかと寝る必要はねぇんだよ」



 アスクレピオスの鱗は、触れた者全てに、その呪われた運命を与える。
 邪馬人にも、卑弥呼にも。その運命を与えてしまった。
 だから、恐れた。
 深く関われば関わる程に、呪われた逆鱗の力は強くなってしまうんじゃないかと。
 だとしたら、銀次はどうなってしまうのだろう。
 今までの生の中で、一番身近で、一番親しくて、一番大切な彼に、降り注ぐ呪いとは何なのだろう。



「…それがお前の本音か」
 溜め息と同時に黙り込んでしまった蛮を見下ろし、波児はくすりと笑みを零した。額に当てられた指には、もう力は入っていない。
 子供は素直が一番だってのに。どうしてこの店に来る奴らは、一癖も二癖もあるのばっかりなんだか。強がったり、意地を張ったり、素直じゃなかったり。そのくせ、プライドだけは大人よりもずっと高くて。
 だが、そんな奴らが次第に変わっていく姿を見られるのも、ここにいて彼らを迎え入れる自分の特権だ。
 コーヒーフラスコの中にすべて溜まったコーヒーを、磨きたてのカップに注ぐ。仄明るい照明の下、その黒い水面がきらきら輝いていた。カチャ、と俯き加減の蛮の目の前に淹れたてのコーヒーを置いてやる。香りに刺激され、重い顔が上がる。
「ほれ、特製のブレンドだ。飲めや」
 そっと押し出してやると、カップの中の揺れる水面に、蛮の渋い顔が映っては揺らぎ、揺らいでは映る。
 ぶつくさ不満を漏らしながら、彼はコーヒーをすすった。いつ飲んでも美味しいその味に、固まっていた気持ちもほぐれていくようだった。
「…ったく、こんなこと喋るんじゃなかったぜ…」
「ははは。俺から見れば、お前達もまだまだ子供だってことだな」
「けっ、余計なお世話だっつーの。そんなことしてると、アンタもそのうち死ぬぜ?」
「お前と散々一緒にいる銀次がピンシャンしてるんだ。俺はまだまだ大丈夫だろうよ」
 どん、と胸を張って波児は笑い飛ばした。そんな波児の口調が、今は有り難い。照れ隠しの為、いつも以上に語調がぶっきらぼうになった。
「あいつは特別製だ…」
「そ。あいつは死なねぇよ。本当は、お前だってわかってるんだろ?」
 横目で蛮を見ながら、波児は穏やかに笑った。そう、本当は蛮だってわかっているのだ。銀次がそれほど弱い男じゃないことくらい。
「…うるせぇ」
「まぁ、しょうがねぇよなぁ。惚れた弱みって奴だよな」
 ぶっ。
 コーヒーが、蛮の口から勢い良く噴き出した。カウンターを砕くくらいに叩いて立ち上がると、波児の胸倉を掴み上げる。
「何でそうなるっ!」
「お、図星だな」
 勿体無いことしやがって、とぼやきつつも、波児の顔は必死に笑いを堪えている。
 そうやって必死に反論しているあたりで、逆に疑いようがない気もするのだが、一瞬で頭に血の昇った蛮に冷静な思考が残っている訳もない。
 波児の目線が、零したコーヒーを拭け、と言っている。それに促されるように、カウンターの上のコーヒーを白いふきんで拭き取ると、その濡れたふきんを、握力200kgの全力投球で波児に向かってぶん投げた。風を切って飛来するふきんを、波児は涼しい顔でひらりと避けた。濡れたふきんは、運の良いことに木の壁に直撃して、ぼとりと床に落ちる。
「あーあぁ、壁きしませやがって…」
「テメェがアホなこと言うからだっ!」
 へこんだ壁をさすりながら、嫌味ったらしく嘆息する波児に、蛮は唾を飛ばしながら怒鳴りつける。それでもまだ波児はめげない。からかう言葉はまだまだ続く。
「銀次はなぁ…。誰にでも優しいからなぁ。お前が不安になる気持ちもわからんでもないが」
「俺にはわからねぇっ!」
「ま、銀次も今頃寂しがってるだろうから、心配するなよ。明日の朝には、ちゃんとここに帰って来るさ」
 鼻息荒く怒り狂っている蛮の肩をぽんっと叩き、波児はあっけらかんと笑った。
「くっそ…、知った面しやがって…」
「俺の半分しか生きてない奴が何を言う。しかもお前らがコンビを組んでから、一番付き合いが長いのは誰だと思ってる?」
「今思えば、それってかなりタチ悪ィんだな…」
 がっくりと肩を落とす蛮に、波児は腕を組んでニヤリと笑った。
「ほほぅ。これ以上反論するなら、お前らの恥ずかしい思い出を士度だの花月だのに喋ってみるか。きっと、血相変えてお前のこと始末しに来るだろうなぁ」
「っ、テメェ一生恨むぞ…っ!」
 そんな波児の一言で血相を変えた蛮は、椅子を蹴倒し、カウンターの上に長い右足をどっかと乗せた。はっきり言って、波児の挑発にまんまと乗せられている。
「マスター、蛮さん!ご飯出来ましたよー!あれ?」
 扉の隙間から身を踊らせたのは、おたまを片手に持った夏実である。カウンターの上に足を乗せ、乗り出すようにしている蛮を見て、きょとんと首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「…どうもこうもねぇよ!それより飯だ飯!」
「お相伴に預かる人がそんな偉そうな態度取っちゃダメですよ?蛮さんのご飯は少なめですっ」
「テメェ夏実っ!いい度胸してやがんな…っ!」
 さしもの邪眼の王も、無邪気なバイトには歯が立たない。何が問題かと言うと、夏実自身が蛮を全然怖がっていないせいだろう。ぷ、と頬を膨らませ、細い腰に両手を当てて、彼女は果敢にも蛮にあかんべえを投げた。
「ツケを払わない人なんて怖くありませんよーっ!」
「…それじゃ一発悪夢でも見てみるかっ!?」
 いくら夏実と言えども、売られた喧嘩は買うのが流儀。まったく男らしくなく怒りながら、蛮はサングラスに手を掛けた。
 まるで子猿の喧嘩のような二人の間に、ボス猿は呆れ果てながら割り込む。
「はいはいはいはい、じゃれあわないの!さ、飯にしようぜ」
「はーい♪」
「ちっ、しょうがねぇな」
 明るい夏実の声、苦笑混じりながらもどことなく弾んでいる蛮の声、そして低く優しい波児の声。それら三つが同時に響き、HONKY TONKは夕食時となった。





「…蛮さん、寝ちゃいましたね」
 遅めの夕飯のあと、波児が洗った皿を拭きながら、夏実がこっそり呟いた。
 夕飯を食べ終わってしばらくして、蛮は眠いと訴え、そのままカウンターで寝入ってしまっていた。眠っていれば無邪気な横顔を覗き込み、波児がぼそっと零した。
「思ったよりも早かったな…。夏実ちゃん、結構盛ったな?」
 盛った、とは。
 危ない台詞をさらりと漏らす波児に、夏実は驚きもしなかった。真剣な顔で店主に言う。
「だってぇ、蛮さんですよ?ちょっとやそっとじゃ効かないと思って」
 何が。
 もし蛮が起きていたら、血相を変えてそう叫んだに違いない。だが、生憎彼は夢すら見ない深い眠りの中。店主とバイトが皿を片付けながら交わす、どこかおかしい会話は止まらない。
「そりゃそうだけどねー。あの蛮がこうもあっさり騙されるなんざ、逆に怖いなぁ」
「蛮さんだって今日はお疲れだったんですよ、きっと。銀ちゃんに寄り付く人達追っ払って、更に銀ちゃんとは離れ離れ。挙句、あれだけ雨に濡れちゃって」
「…そう言われると、かなり危ない人間だな、こいつ」
「ですねー。銀ちゃんが絡むと、見境ないことだけは私にもわかりますね」
 どこか幼い蛮の寝顔を見下ろし、夏実はくすりと笑って波児を横目で見上げた。
「でも、マスターはやっぱり優しいですね」
「な、何が」
「だって、蛮さんのご飯に睡眠薬を盛ったのって、蛮さんが眠れなそうだったからですよね?」
 頭ではわかっていても、やっぱり多分彼は落ち着かないだろうから。放って置けば一晩まんじりともせずに夜を明かし、相棒がここに帰って来るのを待つのだろう。
 煙草を咥え、いつも通りの余裕綽々な顔を作って。
「銀ちゃんが帰って来ない訳ないですし。こういう時はぐっすり寝るのが一番ですもんね」
「…そーだな」
 満面の笑顔の夏実と視線を交わして、波児が白の大皿を持ち上げた瞬間。彼女はとんでもない一言を吐いた。
「何だかマスターって、皆のお父さんみたいですよね」
 つるっ。手の中から白の大皿が滑り落ちた。洗い桶の中で、皿は無残な最期を遂げる。
「な、夏実ちゃん…。俺、あんなでかい子供がいるような年じゃないよ…?」
「でも、蛮さんや銀ちゃんに何だかんだ言っても優しいですし。
 えへへ、実は私もマスターのことお父さんみたいって思ったことありますー♪」
 にこにこにこにこ。そう言って笑う彼女の顔に、悪気なんて一欠片もありはしなくて。波児はがっくり肩を落とす。
(35って、そんなにおじさんかぁ…)
 17歳の感覚では、35歳なんてそんなものかも知れない。一抹の寂しさを感じつつも、実は意外とそうでもない自分もいるのだと気付く。となると、夏実にとって奪還屋の二人は手のかかる兄といったところか。
 流したコップを夏実に渡し、波児はにかっと笑った。
「ま、夏実ちゃんなら構わないか。あいつらは嫌だけどな」
 そのコップを受け取り、夏実もいつものように破顔した。
「…やっぱり、マスター大好きです♪」





 裏新宿の片隅の夜は、深々と更けていく。
 煌々と輝く店内で、片づけをする店主とバイトの声は朗らかだ。
「でも、マスター。何だかんだ言って優しいですよね、二人に」
 カウンターに突っ伏す蛮に上着を掛けてやろうとしていた波児は、どきっと身を竦ませた。
「や、これはその、風邪をひくとまた面倒だからでなぁ…」
「また、一緒にご飯食べましょうね。今度は銀ちゃんがいる時に」
 しどろもどろに答える店主に、バイトの笑顔が眩しすぎる。
 そんなことも知らずに眠りこける奪還屋の片割れは、とても幼い寝顔をしていた。






 こんな雨の日は、家の中に入ろう。
 濡れた体を温め、窓を叩く雨音に耳を傾け、共に過ごそう。
 雨は、それほど悪いものではないようだから。











■長い…っ!!
 お読み頂いてありがとうございましたv
 奪還屋は、書き込みたいネタがいっぱいになり過ぎるんですね、きっと…。
 今回もまた、波児さん大活躍。凄く動かし易い方です。
 夏実ちゃんは、絶対HONKY TONKに居候してますよね?だって部屋ありましたもんね、彼女の。…あれ、私の捏造?(笑)

 脳内設定では美堂さんが銀ちゃんと会ったのは、邪馬人を死なせてしまった直後です。
 そこで銀ちゃんに会う訳です。
 で、雷帝の中に自分と同じ孤独とか、後悔とか、自暴自棄な気持ちとか、色々色々感じる訳です(笑)
 早く、本編でも出会い編やってくれないかしら?凄く楽しみv

2005.5.27