キズナソング




「それは…っ」
 俺のせいだよ、と叫ぼうとして、銀次は躊躇った。
 鈍い銀次でも、わかってしまったのだ。蛮の望んでいること、願っていること。
 自分のせいで失うこと。それはあまりにも辛いことである反面、理由が出来る。失った後も、永遠に繋がり続ける理由に。大切過ぎて恨むことも出来ないのに、勝手に去られてしまってはその感情の捌き方すらわからない。
 だから、あえて何もかもを背負うのだ。取り残されたという現実を感じないために。
「蛮、ちゃん…」
 震える声で相棒の名を呼んだきり、銀次は二の句が告げなくなった。
 愛されていながら憎悪され、望まれていながら疎ましがられ。
 愛しながら憎悪し、望みながら疎ましがる。
 幼い蛮にとって、世界は背反するもの。コインの面の表はまやかし。裏は欺瞞。真実はどこ?
 自分の感情のままを表現出来る銀次と違って、蛮の感情はもっと複雑だ。
 そして、同時に思う。
 もっと彼のことを知りたい、と。
 共に生きるテンポは、嫌というくらい染み付いている。むしろ、呼吸するくらい簡単に、当たり前に蛮のことはわかる。
 だから、そういうことではなくて、彼がこれまで生きてきた軌跡を知りたいと。
 今になって銀次は、猛烈に思った。





 重い重い沈黙の後。俯く蛮の黒髪の上に、銀次の小さな声が降る。
「…ね、蛮ちゃん」
 きゅ、と微かに聞こえるのは、銀次が拳を握り締める音。勢いをつけて、蛮が顔を上げようとした瞬間。続けた銀次の声の方が、一足早かった。
「オレには、蛮ちゃんがいてくれなきゃ意味がないんだよ?」
 真っ直ぐに蛮を見下ろして投げ掛けられる、言葉。蒼い瞳が、最大まで見開かれた。
「ね、蛮ちゃん。オレ、死なないよ」
 その声は、慈雨のように渇いた心に染みていく。嫌がっても、望まなくても、当然みたいに心の一番底まで落ちて行く。
 たしっ、と銀次が一歩歩み寄った。土に汚れたスニーカーの爪先が俯いた視界に飛び込んで。
 蛮は蒼い瞳をゆらりと細めて、真っ白な息を吐いた。
「ずっと、蛮ちゃんの隣にいるよ」






 贈られた言葉に込められた、意味に。
 眩暈を覚えた。






「だから、安心して?」
 微笑む気配に顔を上げると、そこには眩い太陽の笑顔。吐く息の白ささえ、生きている証。
 凍えた頬の涙の後がひりひりと引きつって、余裕の笑みも歪んだけれど。真っ直ぐに、琥珀の瞳を見上げると、あいつは満足そうに破顔した。
「ね、だから笑お?そんな風に落ち込んでる蛮ちゃんなんて、らしくないよ?にやって笑ってさ、オレの頭ずごって殴って、馬鹿が!って言ってるほうがいいよ、蛮ちゃんは」
 そう言われてようやく、蛮の顔に薄い笑みが戻った。
「馬鹿が…」
 呟くように言い捨て、右腕で銀次の頭に拳を当てると、いつもよりも優しい仕草にはにかんだ瞳が蛮を見返す。それがどうにもくすぐったくて、今度は思いっきり銀次の横っ面をはたいた。
「いったー!少しは手加減してよ、もう」
「叩いてくれと言わんばかりの顔してるお前が悪い」
「ちぇー、どんな理屈なんだよ」
 口を尖らせつつも、銀次が喜んでいるのがわかる。蛮の隣に座ると、コートのポケットから少し皺の寄ったハンカチを引っ張り出して、蛮の顔に押しつけた。
「はい」
 あまりにも蛮らしくない、涙でよれよれの顔をしていることは、格別口に出したりしない。そんなの本人が一番良くわかってるだろうから。余計な一言を言えば鉄拳が飛んで来るだけだ。
 言葉少なに押しつけられたハンカチが、微かに埃っぽいのに、蛮はチェック柄のそれの下で苦笑する。
 ゆっくり顔を拭く蛮の隣で、銀次は空を見上げた。
 どうりで寒いと思ったら、やっぱり。粉雪が、仰向けた顔に舞い落ちる。
 音もなく、はらはらと。
 空を見上げたまま、銀次は大きく息を吸い込んで瞳を閉じた。綻んだ口許に、笑みが浮かぶ。
「…オレ、死なないから。蛮ちゃんも死なないでね」
「…おう」
 返事は一つ。でも、絶対の約束。
「オレが泣きたくなったら、蛮ちゃんは笑っててね」
「…おう」
 頷く蛮の端正な顔にも、薄い微笑みが戻っていた。








 返されたハンカチを、銀次は再びコートのポケットに突っ込んだ。
 しばらくの間ポケットに突っ込んだままだったハンカチは、随分埃っぽくなっていた。そろそろ、コインランドリーに洗濯しに行かなければ、と銀次は苦笑する。
「新宿で雪なんて、珍しいね」
 積もるかな、と銀次の声がはしゃぐ。肩をすくめ、蛮は煙草に火を点けた。今度は胸の奥から息を吸い込み、その味を楽しむ。苦い味が、初めて胸に広がった気がした。
「俺は付き合わねぇぞ」
「わかってますー。夏実ちゃんを誘うもんね」
 つーんと口を尖らせた銀次は、そう言いながらも拗ねてはいない。蛮がそういうことに付き合ってくれないのは承知してるし、今は珍しい雪に瞳を輝かせていたから。蛮は細く長く吐き出した煙の下で、唇を引いて薄く笑う。
 遠くで、踏切の遮断機が微かに鳴った。
「…そういやお前、さっきの下手な歌、どこで覚えたんだ?」
 ゆったりと煙を吐き出しながら尋ねると、案の定銀次は頬を膨らませた。
「下手ってそんなはっきり言うことないじゃん」
「いやぁ、ありゃ俺様くらいの深い愛がなけりゃ聴けたもんじゃねぇな」
「うわー、蛮ちゃんが愛とか言ってるの気持ち悪いなー、っいて」
 思わず正直な感想を漏らした相棒の頭を小突く。
「余計なお世話だっつーの!」
「もー、すぐに殴るし」
 と言いつつも、ほっとしているのは秘密だ。こうでなければ蛮ではない。やっといつもの調子が戻って来た。後頭部を押さえる銀次の表情は、先程と比べて、かなり明るかった。
「あれね、この前ラジオで聴いたんだ。良い歌だよね?」
「クセェけどな」
 長くなった灰を落とし、蛮はくすりと笑った。クサいけれど、その歌詞と銀次の歌声にほだされてしまったのは事実で。
 気付けばこんな台詞も続けていた。
「…続きは?」
「あれー、オレの下手な歌でいーの?」
 仕返し、とばかりに銀次がにやりと尋ね返せば。蛮は澄まして舌を出した。
「お前の下手な歌なんざ、聞き慣れてら」
 銀次はさらに頬を膨らませたが、別段構う様子もなく笑うと、ぽつりぽつりと歌い始めた。
「今はまだ小さな光でいい、そっと命を重ねていく僕ら。見たこともないような顔で笑う。きっとすべては見せられないけど、明日へ向かおう…」
 相変わらずの調子で、銀次が歌う。やっぱり、決して上手ではないけれど。染み入る、と思ってしまうのは、銀次だからだろうか。
 曲の切れ間に、蛮が呟く。
「…悪くねえな」
 ぶっきらぼうな物言いに、銀次は堪らず微笑む。大輪のひまわりが咲き誇るように、眩しいくらいの微笑で。
「蛮ちゃん素直じゃないんだからぁ」
「うっせえ」
 振り上げられた拳をひらりと避けて、銀次は我慢出来ずに声を上げて笑った。







 短くなった煙草を地面に落とし、蛮は勢いを増して行く雪空を仰いだ。凍れる空気はますます澄んで、不浄なものを清めていく。真っ白な吐息、真っ白な空、そして、これから訪れる真っ白な世界。
 よっこらせっと立ち上がると、蛮は隣の銀次の髪を、ぐしゃぐしゃっとかき回した。
「さぁてと。んじゃ、行きますかね」
「オレ腹減ったー!」
「わーかってら。…波児んとこでも行くか」
「お金入ったし、肉買ってこうよ!」
「おー、いいな」
 どちらからともなく立ち上がると、二人は少し遠くに停めてあるスバルに向かって歩き出した。軽い粉雪は、うっすらとだが世界を白く染めあげる。踏切の遮断機の音が近付いて、銀色の電車が轟音を上げて通り過ぎて行く。
 線路沿いにスバルの車体がちらりと見えた頃、いきなり銀次が蛮の首っ玉に飛び付いてきた。
「蛮ちゃん、疲れて力が出ません」
「んだとぉ?」
「おぶって〜」
 そのまま、ずるずるっとかじりついてくるものだから、蛮は仕方なく銀次を背負ってやった。腕力は蛮の方があるが、体格は銀次の方が少し上だと言うのに、やけに甘えてくる相棒を蛮はしっかりと支える。
 蛮の肩に顔を埋めて、銀次はくすぐったそうに笑った。
「ありがと、蛮ちゃん」
「いーえー」
 氷点下の空の下、触れ合った部分から温もりと優しさが広がっていく。
 答える蛮の調子は、結構まんざらではなさそうだった。






 おぶわれた銀次は、元気に両足を振りながら笑顔で歌う。
「ありふれた小さな絆でいい。そっと、歩みを合わせていく僕ら…」
 流れる歌声、舞い散る粉雪、腹に響くのは電車の音。
 少し煙草くさい空気を吸い込んで、銀次は微笑みながらさらに続ける。
「町中に溢れるラブソングが少し愛しく思えたのなら、素晴らしい世界」
「…ラブソングかよ」
 軽く苦笑いし、吹き出す蛮に。
「ラブソングだよー。だってオレ愛の戦士だもん」
「…ああ、俺様専用?」
「あはは、残念でしたー。蛮ちゃんと、女の子専用ね」
「おめーもモテないくせに懲りねぇな」
「どっちかっていうと、モテないから懲りないんだよ」
 そう言ってからからと明るく笑う銀次の声を耳元で聞いて、蛮はこっそり破顔する。銀次は、あんまりにも優しすぎるから。どんな者にも、分け隔てなく。その点、恋する乙女は贅沢だから、自分だけを見てくれそうにない相手はすぐに嗅ぎ分けるものだ。彼の、この性格が直らない限り、銀次の望みは中々叶いそうにない。
 蛮からすれば、それでこその銀次なので、そこのところは変わって欲しくない。これは、彼の我侭ではないはずだ。花月や士度たち、いや、銀次をある程度知っている者達なら、皆そう思うだろう。
 銀次をスバルの助手席に放り込み、運転席に乗り込むと、いつもの巣へと車のエンジンを入れた。







 窓の外を、灰色の街が流れて行く。
 コンクリートとアスファルトのジャングルが、どこまでもどこまでも続く、終わりのない街。そんな新宿に、雪が降る。
「…なーんか、綺麗になってく感じだよね」
 窓の外を眺めながら、銀次がぽつりと言った。頬杖をついて、斜め先の道をぼんやりと見ている。
「…そーだな」








 雪に洗われて綺麗になるのは、この街。
 そして、それよりきっと、俺達自身。







 道の向こうに見えるHONKY TONKに雪が積もっているのが見えて、銀次が元気に歓声を上げた。











■読破、お疲れ様でした(笑)
 THE BACK HORNの「キズナソング」を聴いていて、妄想し始めたもの。
 これ、すごく素敵な歌詞してますv銀ちゃん→美堂さんです。
 泣いてる美堂さんとか、すっごいレアだなーとか思って書いてました(笑)
 実際のところ、果たして銀ちゃんの前でもあの人が泣くのかと突っ込まれると激しく疑問ですが(笑)

 *2008.3.10 追記*
  個人的には、蛮銀はカップリングと見せかけて、ものすごく仲が良いだけのコンビが好きです(笑)好きとか嫌いとか、好いた惚れたは別として、完全にツーカーなだけなのです。
2005.8.11