コバルトの星





 一年にたった一日だけの逢瀬だなんて、考えるだけでぞっとする。






「けっ、どうしてこう日本人って奴は七夕が好きなんだろうな」
 スバルのカーラジオをぱちりと切り、蛮が思いっきり苦々しげな口調で吐き捨てた。
 毎年毎年、七月七日になると、テレビもラジオも金太郎飴状態だ。琴座のベガと鷲座のアルタイル、所謂織姫と彦星の説話。二人の間を流れる天の川に今日だけ掛かる橋を越え、年に一度の逢瀬に交わす。誰もが知っている、お決まりの話だ。
 その、何処か悲恋的な展開が、日本人の好みに合うのだろう。
 しかも最近では、その説話を元にして恋人たちのイベントの日にもなっているとかいないとか。
「俺には全っ然関係ねぇじゃねぇか」
 またもやスバルの脇を通り過ぎたカップルを横目で見送って、蛮は不機嫌そうに鼻を鳴らす。火のついた煙草を灰皿に押し付け、シートを後ろに倒した。
 ついさっきまで聞いていたラジオでも、今夜がいかにいい天気なのか、しきりに言っていた。フロントガラス越しに見える空は、雲ひとつない星空で。新宿のド真ん中だから、天の川は見れないが、少なくとも夏の大三角形だけは中天で明るく輝いていた。
「そりゃそうだけどさ」
 サイドシートで銀次が笑う。銀次とて、七夕にまったく興味がないとは言わないが、所詮は飯の種にもならないこと。二人とも会えて良かったね、とか思う程度だ。
「大体、奴らが会うのは雲の上だぞ。天気なんぞ関係ないっつの」
「蛮ちゃん夢がないなー」
 半ば感心して銀次が呟く。あまりにも現実的な答えに、流石蛮だと思ってしまう。サングラスを外し、ダッシュボードに突っ込んだ蛮は頭の後ろで腕を組むと、倒したシートに身体を沈める。長い足を器用に組んで、狭いスペースに納めている。いい加減車中泊にも慣れて、上手く寝れるようになってしまった。
 蛮にならって、銀次もサイドシートで丸くなる。懐も寂しいし、定住生活はまだまだ遠い。しかし、冬と違って夏ならば凍死する心配もないのがせめてもの救いだ。
 シートに頬を当て、瞳を閉じた蛮の横顔を見ながら、銀次は小首を傾げて言う。
「結構ロマンチックじゃないかな?」
「そうかぁ?」
 答える蛮はあくまでにべもない。別にそこまでこだわる話ではないのだが、そうあっさり切り捨てられるとフォローしたくなってくる。
 銀次は口を尖らせて、がばっと身を起こした。
「蛮ちゃんは欲しくないのー?一年も待っててくれる女の人」
「けっ、一年に一度しかヤれねぇ女なんて、まったくもって意味ねぇな」
 いっそ清々しいくらいに、きっぱりと蛮は言い放った。
 閉じた瞳に浮かぶ感情は見えないが、眉間の皺で答えは出ているようなものだった。
 どう見ても、それは本気に間違いない。女っ気がない二人なのでついつい忘れがちだが、普通にしていれば蛮は女性の目を引く。その気になれば、女性に困ることなどないだろう。
 あまりにも彼らしい答えだった。
「…言いたいことはわからなくもないけど」
 げんなりと呟いて、銀次はぱたん、とシートに横になった。確かに、一年に一度しか会えない人よりは、毎日会えて、傍にいられる人の方がいいと思うのが一般論だ。銀次だってそう思う。
 一般論だが、どうして蛮が言うとここまで身も蓋もなくなるのだろうか。
「…まぁ、いいや」
 どうせ、深く考えても仕方がないことだ。横になったシートでさらに丸まって、運転席の蛮にいつもの言葉を投げる。
「おやすみ、蛮ちゃん」
「おう。腹が減っても噛み付くなよ」
 蒼の瞳が、闇の向こうで悪戯っぽく光って応えた。それを見て、銀次もくすぐったそうに肩を竦める。
「蛮ちゃんこそ、オレの頭、蹴飛ばさないでよね」
「うるせー」
 と、いつものように軽口を交わし、二人は狭い車内で眠りに就く。






 フロントガラスの向こうの星空は雲一つない快晴だったが、生憎と天の川とまではいかない。
 物音一つしない公園の片隅で、しばらく経つと穏やかな寝息が上がり始めた。
 眠りの浅い蛮に対して、いつだって、先に寝入るのは銀次だ。
「うぁー…」
 すうすうと規則正しい寝息の間に、ぼやくだけの寝言が混じるのも、いつもと一緒。ごろんと寝返りを打つ気配がしたので、蛮は何気なく左に首を向けた。すると、寝返りを打って仰向けになった銀次の横顔が視界に飛び込む。半開きになった唇の端がちょっぴり上がった、とても締まりのない笑みで、左手を胸の上に乗せて。サイドシートでもしっかり熟睡しているようだ。お互いに、どうでもいい特技が出来てしまったものだと、蛮は頬を歪めた。
 それにしても。
「ったく…。腹冷やすぞ、ボケが…」
 たった一度寝返りを打っただけなのに、銀次のシャツはすでにめくれて、適度に腹筋のついた腹が見えてしまっている。ぶつくさ言いながらも上体を起こした蛮は、ぐいっとシャツを下げてやる。
「世話のかかる奴…」
 などとぼやきながらも、声に怒りの調子はない。いや、むしろ起きている銀次と話している時に比べて、声音は随分と優しかったりして。
 月影に照らされた、年の割には幼い顔を覗き込む。睫毛が瞼に陰を落とし、薄く開いた唇から静かな寝息が零れている。
 その、呑気そうな顔を満足そうに見下ろして。蛮は喉の奥で微かに笑った。




 一年に一度しか会えない女性よりも。
「お前がいりゃあ十分だ」




 そんな相棒の声が聞こえたか。
 どかっ。
 さらに寝返りを打った銀次の右腕が、蛮の横っ面を殴り付けた。
「った…!」
 まともに入った右腕に、一瞬瞼の裏に星が瞬く。悶絶する蛮に対し、再び小動物のように丸まった銀次は、むにゃむにゃと口の中で呟いて寝てしまう。
「こいつは…っ!」
 無邪気な頭に一発鉄拳でも与えてやろうかと、右腕をふりかぶった蛮だが、途中でふいっと腕を下ろした。
 あんまりにも警戒心のない銀次の寝顔を見ていたら、殴る気も失せたのだった。
 そんな自分に呆れて肩をすくめ、どすんと運転席に戻る。





 まったく、無敵の俺様も、こいつにだけは敵わねぇ。
 1年365日、隣に居ることに慣れきってしまった、唯一無二の存在。




 もしも、こいつと1年に1度しか会えないとしたら―――。
「…へっ。いるだけで十分、なんて嘘だな、こりゃ」
 星明りの下に浮かんだ苦笑は、どこか嬉しそうで。




 お前がいないと、意味がない。
 笑えるくらいに思い知る。
 けれど、この感情は意外なくらいに優しくて。
 楽しくもあり、愛おしくもある。






「蛮…ちゃん…。ごはん――…」
 そんな蛮の気持ちを知ってか知らずか。脱力するほどに銀次らしい寝言に、相好が崩れる。
 どんな夢を見てるのか、一目瞭然の相棒に、蛮は甘いくらいの笑顔を向けた。
「…残念だが、食費もねぇけどな」






 やっぱり。
 お前がいりゃあ、それでいい。














■蛮銀七夕ネタ。
 私は銀ちゃんに心底惚れてる美堂さんが好きです、はい。
 そんな感じ(笑)

 絶対に本人の前だと言ってやらないのが好き。
 でも、それを無意識で感じ取っちゃう銀ちゃんがさらに大好き(笑)


2005.7.9